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隣人「中国」とわたし

 

楠田 法隆  

私は20歳で初めて海外に出た。それまで中国はもちろん、海外とも一切の接点を持たなかった。中国へのイメージは漠然と「紅い国」であり、印象も決して良いものではなかった。大学3年生になる春休み、ニュージーランド(NZ)への1カ月間英語研修の機会があった。これが私の「初海外」であった。ホームステイ先からバスに乗り、オークランド大学のESLへと通った。NZのバスは、次の到着駅が表示されない。行きは大勢が大学前で降りるので到着が分かるが、帰りは曲がり角の都度、周りの建物・看板に神経を集中し降車していた。ある日、空も暗くなりかけの時間、失念し駅を降り間違えてしまった。あたりは暗く、ホームステイ先まで無事に戻れるかどうか不安で焦る私が道を尋ねた相手が、初めての中国人の友達となった。彼もオークランド大学の学生であった。

帰国後、彼から連絡があった。彼の実家である「武漢」に招待された。しかも、飛行機代・宿泊代・食事代等全ての費用を負担してくれた。「なんというセレブと知り合ってしまったんだ!」と感激していたのだが、後で聞いた話に衝撃を受けた。実は彼の家はそこまで裕福ではなく、私を招待するのに父親の1カ月分の給料をほとんど使ってしまったのだと。こんな「お・も・て・な・し」が果たして日本で考えられるだろうか。武漢では、中国語で意思疎通が全く取れない日本人である私に、彼の義理の兄、その兄の会社の部長(なぜか円卓テーブルの会場で彼が在席した)等、現地で会った全員が暖かくもてなしてくれた。

武漢での体験を通じて、「もっと中国について知りたい。」、「中国語で彼らといつか話せるようになりたい。」という衝動に駆られた。帰国後すぐに中国語の学習をスタートすべく日本国内の語学教室に通い始めた。次第に本場中国で本格的に中国語を学びたい気持ちが高まり、両親へ「中国留学」の希望を打ち明けた。大反対された。この世代にとって中国の印象はとても良いものではない。しかし、今は亡き祖父が、「これからは中国の時代になる。役に立つことを信じて勉強してきなさい。」と後押しをしてくれたことで、私は北京語言大学への短期留学を実現させることができた。

北京に留学してから、中国への理解は体感レベルで日に日に深まっていった。北京留学は充実そのもので、まさに「青春時代」だった。今現在、私は中国での体験を日本国内の学生達に伝えるため、全国の高校で講演活動に奮闘し、多くの日本人学生の中国留学を斡旋してきた。私の体験談から、次の体験者が生まれる。またその体験者から次の体験者へとバトンを繋いでもらえたらこんなに嬉しいことはない。

私は、日本と隣国中国との関係は「戦略的友好関係の時代」に突入したと感じている。戦後70周年のイベントもあり、両国の政治面における純粋な「友好関係」の実現は今後も難しいと思うからだ。高校での講演会の最後、学生に語る。

中国を好きになれとは言わない。漠然と嫌いであっても大いに結構である。

しかし、それらは「中国を理解しなくても良い。」という理由にはならない!

これだけの中国人訪日観光客を迎える時代、「島」事件勃発以来、円安や中国現地での物価上昇も重なり撤退する日系企業は少なくない。それでも、やはり我々の今後の生活から中国との関係を完全にゼロにすることは不可能である。

「日本で日本人として生きていく上でも、中国や中国人から避けられない!」

この事実こそが、我々が中国や中国人を少しでも理解しておかなければならない理由に他ならないと思う。今後も、私は自らの活動の中から、一人でも多くの日本人に中国を少しでも知ってもらうキッカケを与えたい。これからの日中関係の架け橋として重要な役割を担う人材の育成に少しでも貢献できれば感無量である。

 

人民中国インターネット版 2016年3月

 

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