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狭間に生きる僕達は、見えないものを見つめ続ける

 

松本 祐輝

2012年、自分が高校2年生だったその年は日中関係が急速に悪化し始めた年で、自分の価値観が崩れた年でもあった。

小学生の頃に上海に1年間暮らしていた自分は元々中国への愛着があった。だが度重なる事件や悪化する国民感情を前に、自分の今までの「友好」という常識が崩れていく様に見えた。そして隣国を精一杯擁護する自分に、それを裏付ける知識が、何より経験が少ないことに戸惑った。自分には中国が何も見えていないのではないか。向き合い方の分からなくなった隣国をもう一度見つめなおすため中国語学科への進学を決めた。

大学に入ってから何度も中国へと行った。1年の9月に日中友好協会の訪中団の学生代表として4都市を回り、3月に北京への短期留学で街を歩き回り、2年の7月には中国韓国の学生と共に長春と延辺の満洲国の爪跡を巡り歴史を語り合った。

これらの旅の中で出会った人々に自分の人生は変えられていく。学生代表として重圧を持っていた自分にずっと寄り添い支えてくれた通訳の方、東北地方の田舎で元気に日本語を学ぶ高校生たち、アメリカの大学院に希望を見出す再会した旧友、四川から上京し民族舞踊を続ける羌族の踊り子、真実を知ること、考え続けることを生徒に教える勇気ある高校の先生、消えそうになる延辺の戦争の記憶を記録し続ける延辺の研究者の方―

人々の背景にある民族、宗教、文化、時には性的指向や思想は驚くほど多様性にあふれている。国家という紋切り型の枠では語りきれない彼らひとりひとりの「歴史」に中国という国の奥深さを感じた。

中国への旅の中で本当に素晴らしかったのは日本語学部の仲間たちとの出会いだ。

家族が日本を嫌っているという日本語学部の学生は少なくない。歴史的な痛みに基づいているその感情は日本人に深く刺さる。自分を含め、実際に中国に行く中で中国の人からの日本への厳しい言葉に突き当たったことのある人もいるだろう。だがそのような人々の感情との狭間で彼らは日本語の勉強を続けている。多くは行ったことの無い隣国を見つめて―

大学1年の冬、そんな彼らと自分はプロジェクトを共に作りはじめた。

半年後の8月に中国語を学ぶ日本人と日本語を学ぶ中国人がお互いの国を相互訪問しディスカッションをする。その企画の中で自分が大切にしたかったのは学生だけでない現地の人との交流だった。中国の多様さをもっと知るために、そして日本の多様性をもっと知ってもらうために、企業人や中高生、5回の街頭調査といった企画を仕上げた。

そして迎えた本番、街頭調査は面白かった。東京での歴史認識の調査にも多くの人が温かく答えてくれ、別のテーマで取った中国では更に多くの人が積極的に応えてくれた。特に北京の爨底下村で出会ったおばあさんは「日中友好のため」とすももをくれた。

順調だった活動だが、忘れられない場面がひとつあった。

北京で活動をしている時、ディスカッションをしている場所に大勢の警察が入って来たことがあった。設備の調査に来ただけで自分達の活動とは関係なかったのだが、日本語での活動に眉をひそめ、なぜ日本語を話しているのかと詰問調になった。その時、一緒にいた中国の友達たちは口々に抗議して言った。

「日本語を話していて何が悪い」  自分が中国を歩くとき、傍ではいつも仲間たちが支えてくれる。そんな仲間の存在をしみじみと感じながら自分は大学に入ってから4度目の訪中を終えた。

「中国を見た」というのがおこがましいほど自分はまだ何も知らないだろう。それでも自分は中国という国の多様性を知り、お互いへの嫌悪のあふれる両国の狭間で学び続ける仲間たちと出会った。どちらも高2のあの頃は見えなかったものだ。

きっと大切なものは表面からは見えないものなのだろう。だから自分はこれからも中国を訪れ続ける。そして見えないものを見つめ続ける。今度は仲間たちと一緒に。

 

人民中国インターネット版 2016年3月

 

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