野生動物保護で「楽園」を取り戻せ
「ナベコウの里」の指定導いた青年

 

高原=文  馮進=写真

初めて李理さん(33)の家を訪ねたのは李さんの子どもが生まれて1カ月が過ぎたころだった。当然のことながら、李さん夫婦は赤ちゃんの世話にてんてこ舞いしていた。李さんは子どもが生まれてうれしい半面、家に「縛り付けられ」て山に入る余裕がなく「どうしようもない焦燥感に襲われた」と振り返る。2000年、18歳だった時、北京市房山区で「黒豹野生動物保護所」という名前の保護所を設立し、政府の支援に頼ることなく自力で15年もの間運営をしてきた。李さんにとってはこの野生動物の保護こそが自分の使命だという。水墨画は描くものの、それは趣味に過ぎず、また、その作品を売るのは生活のためだそうだ。

3カ月後、妻が子どもを連れて実家に戻ると、李さんはようやく山林に入ることができた。山林では密猟防止のための巡視や野生動物を追跡するための赤外線センサー設置などをする毎日だ。そのほかには付近の村民と野生動物とのトラブルを解消したりもする。山の中にいる李さんは家にいる時よりも自由でリラックスしているように見える。そんな李さんはまさに山林に住むべき人なのだろう。

幼い頃の思い出を守るために

李さんは幼いころ、北京市の右安門付近に住んでいた。今から二十数年前、そこはまだ野菜畑の広がる農村だった。当時、両親は仕事が忙しく、子どもの面倒を見ている余裕はなかった。しかし、李さんは寂しいと感じることもなく、毎日おばあさんにご飯だよと呼ばれるまで野原で遊び回っていた。「同年代の子どもは車からヒーローに変身するようなトランスフォーマーのおもちゃを持っていました。私はというと、木に登って親鳥がひな鳥に餌を与える様子を見たり、池のほとりでオタマジャクシが孵化する様子を観察したり、空を飛ぶ白鳥を眺めたりして遊んでいました。私の唯一の相棒は野ウサギでしたがとても幸せでした。ところがその後、その地が開発されることになりました。両親は姉を連れて新しい家に移りましたが、私はどうしてもその地を離れたくなかったので、祖母と一緒に住宅が取り壊されるまでそこに住んでいました。開発が始まった時から私の楽園はなくなりました。同時に、動物を守るために、そして、この素晴らしい思い出を単なる思い出としないためにも何かしなければならないと思い始めました」

2000年、西安美術学院付属中学校に在学していた李さんは黒豹野生動物保護所を設立した。仲間を集めて野生動物の保護を呼びかけたり、密猟の対応策として山の巡視をしたりしていた。しかし、このような活動を持続させることはとても大変で、その上、常に資金不足だったため、一緒に頑張ってきた仲間たちは次々と保護所を後にした。設立して5年後、李さんがさまざまな思いを込めて設立した保護所は閉鎖の危機に瀕していた。そこで、李さんは残ってくれた2人の仲間に引き続き保護所の仕事を任せながら、自分は資金の調達に奔走した。李さんは優れた絵画の才能と経営の能力を生かし、作品を売ったり、ギャラリーを経営したりして、人生で初めてまとまった金額を手に入れた。「お金が入ると私たちは成金のように、車やカメラ、登山用具、GPS、赤外線センサーなどあらゆる物を買いあさったのですが、使い方がよく分かりませんでした。そんな時、幸いにも解焱先生と知り合うことができ、いろいろと助けてもらいました」

プロとして野生動物の保護を

解先生は中国科学院動物研究所の専門員で、野生生物保護協会(WCS)中国プロジェクト部の主任を務めたこともある。解先生の指導の下、保護所のメンバーは野生動物保護の専門知識を学び、スキルを磨いていった。保護所は当番制にし、当番に当たらない時には四川省や雲南省などで野生動物の追跡方法やその際に必要なセンサーの使い方、データ分析の方法などのスキルを身につけた。鳥類を専門に学んだメンバーもいれば、爬虫類を専攻したメンバーもいる。何年もの努力の末、保護所のメンバーは野生動物保護の「准専門家」となった。その後、メンバーは全国各地の野生動物保護プロジェクトに参加し、実習を重ねていった。李さんは東北地域のアムールトラに関する研究プロジェクトやチベット高原北部に位置する可可西里(ココシリ)のチベットカモシカとチベット野牛(ヤク)に関する調査などに参加した。保護所のメンバーは野生動物を捕まえてサンプルを採取し、また自然に戻すという作業を繰り返す中で、豊富な知識と経験を積んでいった。

そのような中、保護所では地元の村民たちに動物を保護するように呼びかけるとともに、メンバーが習得した専門知識を駆使して人々と動物とのトラブルを解消する試みが始められていた。

長期的な保護を第一に考える

この2年間で、保護所は地元の村民を悩ませる二つの難問を解決した。その一つは、冬にハゲワシが羊を襲うという問題。もう一つは、秋にイノシシがトウモロコシを食い荒らすという問題。この二つの問題を解決するために保護所のメンバーは詳しく調査を行った。そして、村民にわなを仕掛けないよう、ハゲワシを殺さないよう、何よりもこれらの問題を李さんたちに任せるよう説得して回った。李さんたちは冬に羊を山頂まで登らせないよう飼い主に注意するとともに、養豚場で処分される病死の豚を羊の群れから遠く離れた山頂に運び、それをハゲワシの餌にすることで問題を解決した。一方、トウモロコシが成熟する季節には畑の周辺にCDをつり、それらに光を反射させることでイノシシを寄せ付けないようにした。その他にも、オオカミやヒョウのふんを置いたり、ハッカを植えたり、山頂からオオカミの遠吠えを放送したりすることで、イノシシが作物を食い荒らすことを食い止めた。

李さんが最も誇りに思っているのは、ナベコウ保護プロジェクトの成功だ。コウノトリの一種であるナベコウは国際自然保護連合(IUCN)が発表するレッドリスト(絶滅の恐れのある野生生物の種のリスト)にも挙げられ、全世界に2000羽ほどしかいないといわれる。2000年当時、房山区内で李さんの保護所が発見したのは2、3羽に過ぎなかった。その後も追跡・監視し続け、さまざまな方法でナベコウを保護するように呼びかけてきた。その結果、14年後の現在、地元のナベコウの数は六十数羽にまで増えた。昨年、北京市は房山区で20以上のナベコウ保護地区を設立した。また、中国野生動物保護協会(CWCA)は房山区に「中国ナベコウの里」という称号を与えた。

本来ならば、黒豹野生動物保護所がナベコウ保護プロジェクトを申請し、100万元(約1889万円)の資金を得る資格があった。しかし、李さんはその申請資格を房山区政府に譲っただけではなく、資料となる写真や動画、GPS・衛星追跡データなど持っている全てを提供した。当時、仲間たちは李さんのこのような行動が理解できなかったという。しかし、李さんは次のように説明する。「ナベコウを保護するという視点から見れば、政府にやってもらうことで、より長期的に保護していけるんです。解先生が最初に教えてくれたのはNGOの定義でした。NGOとは政府が動物保護の問題に気付いていない段階で、政府より先に取り組み、後で政府に受け渡すことを役割としているのです」

 

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