100年受け継がれる古い造船の技

 

一心不乱に作業する岑氏木船第4代継承者岑国和さん

 

「舟のふるさと」の呼称を持つ舟山は、船によって名を成した。船は舟山人にとって、海に出て魚を捕り生活と心のよりどころとなる大切な道具だ。舟山の造船の歴史は古く、木製の帆船が鉄船に代わるにつれて、伝統的な造船工芸を理解する人もだんだんと少なくなった。岑国和さん(60)は造船技師で、40数年間伝統的で精密な手製の造船技術を守り、2008年に第2次国家レベル無形文化遺産目録に選ばれて、名を連ねた。

岑さんは岑氏木船の第4代継承者で、工房は初め曽祖父が1900年に創設した。子どもの頃から祖父と父が巧みな技で木船を作り上げるのを見てきた。19歳のとき、父について正式に造船の技術を学び始めた。木匠の学びに始まり47ものプロセスの造船工芸を把握、熟練するまでに3年の月日を要した。21歳の時には独立して、造船の先頭に立つ「把木師」を務めた。岑氏木船工房は中国古代の伝統的な造船技術を受け継ぐだけでなく、帆船の設計や製作にも地域の特色を取り入れ、作り上げている。例えば、材料の選択、巧妙な工芸、装飾は伝統的で繊細な彫りと漁民画を採用し、鮮明な海洋文化の特徴を現している。

前世紀の末、木製漁船から全面的に鉄製の大船へと入れ替わり、岑氏木船は最も困難な時期にさしかかった。舟山500の造船工房は岑氏一家だけが、生命線ギリギリの格闘をしていた。「伝統的な木製の帆船の技術を私の代で終えたくなかったので、どんなに難しくても続けていきたかったんです」岑さんは伝統工芸を市場から消し去らないために、新たな創造に努力し伝統工芸の中で変化を模索した。

2002年岑さんがつくった3本マストの中国古代船「緑眉毛・朱家尖」号は、国内外の注目を受け、工房も漁船の製作からスポーツやレクリエーション用の帆船などに転向した。2007年中日国交正常化35周年と遣隋使の大興(現在の西安)入城1400周年で、岑さんは日本の古代画等の資料に基づき「遣隋使」船を復元して、村山富市元首相から高い評価を得た。

昨年政府の協力のもと、岑氏木船は工房を朱家尖に位置する新しい工房に移転した。「以前はワイワイやってるだけでしたが、今新しく大きな工房をもち、新たな力も得た」岑さんは弟子4人と20数人の職員を率いて、木船の基礎の上に船の文化に関係する旅行商品を開発し、伝統工芸を時代の発展に合わせ、一層の新生を遂げようとしている。

岑国和さんの作品「不肯去観音号」模型、船名は中日仏教交流に関係する普陀山不肯去観音院から来ている

 

 

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