鑑真や魯迅の足跡を訪ねて心温まる旅―第3回Panda杯入賞者の中国見聞

 

歴史と都市と人との出会い 

多くの人にとって、揚州はよく知らない場所であり、どうして北京の後に揚州に向かったのか、その理由は、揚州の過去と緊密に関わっている。揚州は鑑真和上のふるさとであり、そこにある大明寺は彼が日本に渡る前に仏法を広めていたところだ。揚州はま京杭大運河の要衝でもあり、この都市で中日交流の歴史と中国の南北統一の歴史を感じてもらいたいというのが、主催者側の狙いであった。 

11月1日、訪中団は揚州に到着した。大明寺を見学した時、鑑真記念堂の庭にある石灯籠が一行の注意をひいた。この石灯籠は1980年に唐招提寺が大明寺に贈ったもので、友好を象徴する中の灯火は消えたことがない。付近の鑑真広場にある『東渡群像』の彫刻がある壁には、鑑真和上が日本に渡り仏法を伝える「是為法事、何惜身命、諸人不去、我即去爾(仏事のためなら命惜しくない、誰も行かなくても私は行く)」という誓いの言葉が刻まれている。これらすべてがこの中日交流の先駆者への心からの敬服を感じさせた。 

揚州双博館には、鑑真座像と歴代の日本の遣唐使・留学僧の資料が一緒に陳列されている。まだ高校生の角南沙己さんは、揚州に足を踏み入れた使節や僧の名前を真剣に一人一人確認すると、吉備真備、阿倍仲麻呂、空海の名前を指して、「歴史の授業でこれら数人のことを勉強しました」と言った。これらの名前は中国人にとってもおなじみのもので、彼らは中日友好交流促進の使者として、中国の高校の歴史教科書にも登場する。 

古代の揚州と日本との往来について、揚州外事弁公室の鄧清主任は思いを込めて、「もし揚州と日本との関係を一文字で紹介するなら、それは『縁』という字です。早くも1200年余り前に、大勢の日本の遣唐使が揚州に上陸して、多くの人がここで生活しました。日本の要請を受けて、仏法を広めるために日本へ行き、6度にわたる失敗の後、ようやく成功した鑑真和上は、まさに揚州から出発し、日中両国の友好往来の新紀元を切り開いたのです」と紹介した。彼女が言うように、揚州は海を越えてやって来た日本の使者が中国に足を踏み入れた起点であり、また中国の先賢が日本に渡った起点でもあり、中日交流の地理的原点であると同時に、両国2000年の友好交流の歴史の「縁」を結んだ場所でもあるのだ。 

訪中団は中日友好の歴史的起点から出発し、上海に向かい、魯迅故居、内山書店旧跡、魯迅公園を見学した。今年はちょうど魯迅の没後80周年だが、彼と日本の友人との間の友誼は、時間の流れによって色褪せたりはしない。内山書店旧跡では、王総編集長が壁に掛けられた「渡尽劫波兄弟在,相逢一笑泯恩仇」という詩を、「この意味は、『われわれが災禍を経験した後も、お互いの間には兄弟のような情誼がいまだあって、再び会った時、互いを見て微笑めば、それらの恩仇をすべて忘れてしまう』というもので、これは30年代、日本がすでに軍国主義の道を歩み、中国侵略を始めていた時期に、魯迅が日本の友人に書いて渡したものです。中日関係が最も困難な時であっても、魯迅は両国人民が最終的に和解し、友好に向かうという信念を捨てなかったことを示しています」と青年たちに説明した。 

この詩は多くの訪中青年を感動させた。角南沙己さんはこの詩を写し取った。彼女は、「この詩には、日中関係はいつか良くなる日が来ると書かれており、これに私は特に感動し、私は両国関係を良くする責任があると感じました。今回の旅行の中で最も忘れ難いのはこの詩です」と語った。 

今回の作文コンクールの審査委員の一人である森ビル株式会社の特別顧問、星屋秀幸氏は、中日国交正常化以降の中日交流史の証人であり、上海で彼との対面を果たした一行は、彼の中国との30年余りにわたる切っても切れない縁についての話を聞いた。1979年、中国の改革開放初期に、彼は当時の北京語言学院(現在の北京語言大学)で中国語を勉強し、その後、仕事で3度中国に駐在し、宝鋼などの多くの中日協力重点プロジェクトに参加したそうだ。 

彼は、中国の巨大な変化と経済活力を実際に感じ取ってもらうために、訪中団一行を特別に上海浦東にある上海環球金融中心に招待した。「今あなたがたが見ているのは摩天楼ですが、20年余り前、ここはまだ田んぼにバラックが立ち並ぶ場所でした。私が三井物産で仕事をしていた時、ここには東方明珠テレビ塔しかなく、周囲はまだ建設中でした。しかし私は浦東の今後の発展を見込んで、多くの異議を退けて、圧力に屈せず事務所を浦東に移しました」。 中国の改革開放後、中日両国関係の発展を見届け、我が身でも体験してきた星屋氏は、青年たちに彼の豊富で貴重な中日交流体験を分かち与えてくれた。多くの日本の青年たちは、星屋氏を手本とするだろう。今年から上海に留学する予定の浜田麻衣さんは、「星屋氏の話を聞き、とても感動しました。こうした日中友好に努力した人たちのおかげで、日中関係は波瀾の中でも今日に至るまで発展してきたのだと思います。私も彼らに続いて、日中をつなぐ懸け橋になりたいと思います」と語った。

 

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