第二の人生は揚琴で伴奏 34年ぶりに新たな気持ちで

 

高原=文 馮進=写真

 劉広河さん(63)はピアノ工場を退職後、34年ぶりにまた揚琴を弾き始めた。13歳で生まれて初めて触れて以来、揚琴との縁はとても一言では語り尽くせない。揚琴はつらく曲折に満ちた彼の青春時代に付き添い、人生が落ち着き平坦な道を歩み始めると静かに消え去り、退職し、第二の人生に入ると、再びこの楽器は老人楽団に誘ってくれ、余生を華やかに伴奏してくれている。

 揚琴は洋琴とも書き、平たい木製の箱に多数の弦を張って、竹製のばちでたたく中国古来の打弦楽器だ。

 

きっかけはある先生の一声

 

 13歳の頃は文革の最中で、家庭的な背景から学校では冷たくされていた。学校が休学になっても行くところもなく、窓枠によじ上り、学校宣伝隊のリハーサルを眺めていた。そして民族音楽隊が使っていた揚琴に引き付けられた。ある日、宣伝隊の教師がやって来て「音楽隊の揚琴を貸してあげるから、家に持っていって遊んでいいよ。でも壊しちゃだめだよ。それから、もう窓枠に上るなよ」と言ってくれた。劉さんは大喜びで放課後、その揚琴を大事に抱えて帰宅した。弦を調整し調子を合わせることはできなかったが、2本の折れた竹べらで、当時、至る所で奏でられていた『東方紅』の曲を自己流で弾いてみた。「あの先生には今でも感謝しています。揚琴はつらかった少年時代に、私を癒してくれました」と劉さん。

 間もなく中学3年になるという時に、彼は派出所に行き自らの意思で北京の戸籍を取り消し、1年上の先輩たちについて、黒龍江省へ行く生産建設兵団(開墾と辺境防衛を行う準軍事的政府組織)に参加することにした。北京の苦痛だらけの生活から離れたいという気持ちで頭がいっぱいになり、とにかく東北地方に飛んでいって、新しい道を切り開きたかった。しかし、当時の黒龍江省は見渡す限り荒涼としていて、何もなかった。彼は後悔した。

 兵団生活は苦しく、まだ大人になり切っていない少年たちは毎日農作業に追われ、時には森に行き、道路づくりにも駆り出された。将来はどうなるのか、北京に戻れるのか、誰も知らないし、考えようともしなかった。こうした境遇にいた劉さんの暮らしに、また奇跡的に1台の揚琴が現れた。兵団には天津からやって来た青年がいた。彼はある歌舞団の首席揚琴奏者の弟で、彼自身も揚琴を学んでいた。彼が揚琴を持ち込んだのだった。劉さんはその青年を師とし、正式に揚琴を学び始めた。その青年が農作業の後で練習する時、劉さんはそばで聴きながら、教えを受けたが、自分で練習する時間はなかった。そこで劉さんは毎朝3時半に起き、揚琴を持ってこっそりボイラー室に行き、そこで練習し、みんなが起き出す5時前に揚琴を元の場所に返しておくことにした。こうして、練習し始めて数年が過ぎ去った。彼は揚琴をもっと勉強し、この一芸を頼りに兵団を去る決心をした。

 

北京に戻りピアノ工場勤務

 

 73年、劉さんは揚琴の特技が認められ、ある部隊の「文芸工作団体(文工団)」の文芸兵に選ばれた。その後彼の演奏レベルはずいぶん上がったが、そんな時に再び人生の転機が訪れた。転職のチャンスを得たのだ。転職すれば、北京に帰って戸籍を手に入れられるが、揚琴の演奏はできなくなる。逆に、もし、部隊で揚琴奏者を続けるならば、北京に戻って戸籍を手に入れる機会はなくなる。思い悩んだ末に、彼は北京に帰る道を選んだ。

 79年、北京のあるピアノ工場に配属され、まず工員として働き、後に管理職になったが、そこに勤めてから34年間、揚琴に関わることなく過ごし、退職した。そして初めて彼は純粋に好きな揚琴を演奏できるようになった。長年の空白を埋めるように、4台の揚琴を買い、毎朝、奥さんが寝ているうちから練習を始めた。奥さんは離婚を言い出すほど怒り心頭だった。奥さんの怒りを静めるために、彼は揚琴に布をかぶせ、音を小さくして、練習を続けた。

 劉さんによると、現在、退職後に楽器を手にする人は多く、彼が参加している華西民族楽団には約50人の団員がいるが、指揮台から見渡すと、全体が白っぽいのは、全員が白髪の老人だからだ。

 しかし、皆演奏のレベルは高く、劉さんはプレッシャーを感じながら練習に熱を入れているそうだ。年を取るにつれて、視力がますます落ち、記憶力もどんどん悪くなっていることがはっきり分かるが、だからといって、自分の目標を下げる気にはなれず、逆にさらなる向上を目指し、練習を積んでいる。「うちの楽団の団長は退職前は中国評劇院の副院長だった人で、しかも揚琴奏者でした。ですから私に対する要求は特に高いですね。いつも難しい曲を作って私に演奏させます。私は団長の顔をつぶさないために他の人が演奏できない曲でも頑張って弾きこなしていますよ」と、劉さんは意欲的だ。

 こうした楽団の活動に参加しているのは、プロの楽団を退職したごくわずかな人を除けばほとんどは余暇に楽器を楽しむファンだ。若い頃は仕事が忙しく、楽器に触る時間もなかった退職者が集まって、芸術に対する愛を十分に発散し、若い頃の夢を存分に追求しようとしている。北京には華西民族楽団のような退職者の団体は100以上あり、祝日には各地の公園の「大衆ステージ」に出演し、平日にはさまざまなコンクールや小規模な演奏会に出演している。劉さんは「われわれのリハーサルも公演も全部ボランティアですよ。みんなが活動に参加するのは心から音楽が好きだからです」とほほ笑む。

  最近、劉さんは揚琴演奏の道をさらに歩み続けるほかに、揚琴の素晴らしさを後輩たちに伝えていきたいと願い、3歳になったばかりの孫にも教え始めている。孫が揚琴に興味を示すと、劉さんはできる限り教え、自分が子ども時代にはあり得なかった環境を提供しようとしている。

 
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