瓊海
万泉河と「紅色革命」の聖地

 

華僑のふるさとの記憶

海の島という地理および熱帯の気候に影響を受け、海南人は、海洋文明を根源とする、冒険を好んで新しいものを求めるという性格を有している。このため、彼らには大陸地区と全く異なる特性がある。1920年代から30年代のころ、国内外の影響を受け、多数の中国人が生計の道を図るため次々とインドネシアやマレーシアなどの東南アジア諸国に行ったが、それを俗に「南洋に下る」といった。海南島は距離的に東南アジア諸国に近いため、生来、異郷を渡り歩くことに長けた海南人は自然と「南洋に下る大軍」の中に入っていった。多くの海南人が努力と奮闘によって、その地に根を張って発展した。今では、海南の至る所が有名な華僑のふるさとになっており、瓊海もその中の一つだ。

瓊海市博鰲鎮の留客村で、「蔡家宅」という邸宅を訪れた。ここは東南アジアと欧州、海南の民家の様式を融合した典型的な建物だ。デザインは極めて精巧で美しい。2階建てで、建物が四方を囲い、中央を中庭とする構造は、海南の暑く湿った気候を十分に考慮したものだ。一つの回廊が同じ階の全ての部屋を通っているため、雨が降っても、ぬれることなく直接各部屋に行くことができる。このほか、高所に造られた公閣(海南人が祖先の位牌を置く場所)、ローマ風の柱や美しいれんが彫刻、伝統的な中国式の模様によって、この邸宅は多様な様式を備えた建物となった。

 彫刻や絵で飾られた豪華な蔡家宅

この邸宅の主人は蔡文龍さんという名前だ。彼によると、この邸宅は先祖に当たる蔡家森氏が1934年に建てたものだという。蔡氏は若いころインドネシアに渡り、ビンロウ栽培と海上輸送の事業で成功。後に故郷に戻り、建築家を招いて実家を建て直した。彼には兄弟が4人おり、当初、蔡家宅も4棟あったが、後に戦争や社会の変遷に伴い1棟だけになってしまった。今も残るこの建物には歴史が凝縮されている。

現在、蔡家宅はすでに海南省における保存対象文化財に指定されている。蔡文龍さんとその母親は今もここに住む。春節(旧正月)などの大切な行事の際には、海外に暮らす親戚も集まってきて、先祖を祭り、肉親の情を温め合うそうだ。

 蔡家宅の6代目の蔡文龍さん

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