瓊海
万泉河と「紅色革命」の聖地

 

瓊海に伝わる革命の伝奇

瓊海では、誰もが紅色娘子軍の物語を知っている。

紅色娘子軍のモデルは、中国の第2次国民革命戦争時期(1927~37年)、共産党が指導した瓊海地区工農紅軍のうちの女子中隊だ。この軍隊は1931年に成立し、当初は100人の兵士がいたが、そのうち男性は4人のみだった。資料によると、この軍隊は1年8カ月の間だけ存在し、この期間中、彼女たちは50回以上の戦闘に参加し、数多くの勇敢な革命の物語を残した。

 紅色娘子軍記念園

60年、上海電影制片廠(上海映画製作所)がこの女性紅軍をモデルにして、映画『紅色娘子軍』を製作した。この映画は有名な謝晋監督が筆頭になり、当時の優秀な俳優を多数集めたもの。写実的な手法を用い、主人公の女性、呉瓊花が旧社会で奴隷から共産主義兵士に成長する過程を描いている。この映画には、旧社会において、女性が抑圧に抵抗し闘争する中で成長し解放を得たという本当の経験が反映されていた。

映画『紅色娘子軍』は公開後、中国でセンセーションを巻き起こした。観客動員数延べ6億人という記録を打ち立て、一時中国で最も人気の映画作品となった。祝希娟氏が演じた主人公、呉瓊花の人物像は人々の心に深い印象を残した。

その後、中国中央バレエ団がこの題材を用いて、バレエ劇『紅色娘子軍』を創作した。周恩来総理など国家指導者がこの作品に特別な指導を行い、多くの優秀な脚本家やダンサーが集まり、革命バレエ劇の名作が創り上げられた。この作品は芸術レベルから見ても、題材の時代性から見ても、名作と呼ぶことができる。

64年にバレエ劇『紅色娘子軍』は人民大会堂で初演された。周恩来総理は特別に、カンボジア国家元首のシハヌーク親王など、外国の友人たちを観劇に招いた。こうして、この作品は諸外国の国家元首や政府要人を招待する際の主要な演芸プログラムの一つとなった。

71年、日本の松山バレエ団が4度目となる中国公演を行った。そして72年には上海舞劇団が日本公演を行ったことから、歴史研究者は冗談めかしてこれを中日国交史における「バレエ外交」と呼んでいる。当時、上海舞劇団が上演した二つの演目の中に『紅色娘子軍』があった(もう一つは『白毛女』)。その後、松山バレエ団もこの作品を上演。森下洋子氏が主人公の瓊花を演じたことも中日文化交流における美談となった。

『紅色娘子軍』の映画とバレエ劇は中国で広く伝わり、瓊海の革命の歴史と伝奇的な女性たちの物語も中国人によく知られている。そして、物語のモデルとなった女性たちは瓊海で生活を続け、人々に娘子軍の物語を話してきた。

残念ながら2014年4月19日、紅色娘子軍兵士の最後の1人だった盧業香さんが瓊海の自宅で亡くなった。享年100歳。紅色娘子軍の物語はこれでついに伝奇となったのだった。

 

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