長沙に残る青年毛沢東の足跡

 

 橘子洲の南端にある青年毛沢東の彫像は、横83メートル、奥行き41メートル、高さ32メートルで、国内最大だ

橘子洲の南端で

「秋寒く独り立ち、湘江北へ流れる橘子洲のほとり」。1925年の盛秋、とうとうと北へ流れる湘江を見つめて、青年毛沢東は橘子洲の南端で筆を振るって有名な『沁園春・長沙』を書き上げ、天下を憂い、社会と人民を救うという雄々しい大志と感情を表した。そうして橘子洲は人々によく知られるようになった。

橘子洲は湘江の中洲だ。西は岳麓山、東は長沙市街地に臨み、四方を水に囲まれている。南北は延々と約5キロあり、東西方向の狭い部分は約40メートル、広い部分は約140メートルだ。記録によると、晋の恵帝の永興2(305)年に形成され、1600年以上の歴史がある。なぜ橘子洲と呼ばれるかというと、柑橘類を多く産出するからだという。毎年秋になると、ユズやミカンが実って、清々しい香りに満ちる。唐代の大詩人、杜甫も「桃源人家易制度,橘洲田土仍豊腴(桃源郷の暮らしが変わっても、橘子洲の土地は依然肥沃なままである)」とたたえる詩をつくった。

とうとうと北へ流れる湘江の波しぶきは、英雄をも洗い流す。長きにわたり、橘子洲は湖湘文化に染まり、豊かな歴史・文化の蓄積を形成した。朱熹と張栻が岳麓書院と城南書院を行き来して講義するとき、湘江を渡るために通った船着場「朱張渡」は、800年以上前の湖南の子弟による学問の盛況を示している。150年前に曽国藩が湖南地方の水軍を訓練したときの掛け声はまだ橘子洲の上空に響いているようだ。そして、幾たびもの風雨にさらされてきた外国領事館や高級別荘は近代の長沙開港後の辛い歴史を証明している。さらに、90年前に毛沢東が橘子洲の南端に立って発した「問蒼茫大地,誰主沈浮?(問わん、蒼茫たる大地の浮沈を司るは誰ぞ)」という問いは中国近現代史の進展に大きく影響した。

現在、橘子洲は無料開放の公園として、長沙市民や観光客にとって絶好のレジャースポットとなっている。園内の小道に沿って散歩すると、青々とした柑橘類の木が視界いっぱいに広がる。川辺からそよ風が吹いてきて、暑い夏でも心地よく感じられる。遼寧省から来たという観光客の李さんは、「ここでは偉人の当時の様子に思いを馳せることができ、さらに湘江の美しい景色も楽しめます。一見の価値のある場所です」と言っていた。

 2010年より毎週末と重要な祝日に、橘子洲で花火ショーが開催されており、湘江と長沙の町全体を特に鮮やかに彩り、長沙市民の文化的生活のハイライトとなっている(写真提供・湖南省党委員会宣伝部)

 

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橘子洲

所在地/長沙市岳麓区橘子洲頭2号

交通/地下鉄2号線で「橘子洲」駅下車すぐ

電話/(0731)88882152

時間/24時間

料金/無料

 

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