今年5月、中日国交正常化45周年を祝い、日本の松山バレエ団がバレエ劇『白毛女』を引っ提げて、人民大会堂で15回目の訪中公演を行った。
1955年、松山バレエ団の創始者清水正夫と彼の夫人である松山樹子は、中国のミュージカル映画『白毛女』をもとにバレエ『白毛女』を創作し、1958年に初めて訪中公演を行った。中日の国交がまだ正常化していない時代に、彼らは何度も障害をかいくぐって、芸術により心を通い合わせ、相互信頼を増進させ、中日「バレエ外交」の先鞭をつけた。
新世紀に入り、父の事業を継いだ清水哲太郎と森下洋子は、この両国国交正常化を見届けた代表的な名作を、彼ら自身の理解に基づいて表現し続けている。
『白毛女』という一つのバレエプログラムが中日関係の正常化への苦難に満ちた道のりを見届け、民間外交の尽きることのない力を見せたのである。
『人民画報』は1958年、「日本の白毛女が中国に」と題して松山バレエ団訪中公演に関する報道を行った
1971年、松山バレエ団が訪中し、松山樹子副団長(右から2人目)が上海市舞踏学校の学生たちに芸術指導を行った
1972年、上海舞劇団が訪日した際、喜児を演じた茅惠芳(中央)、白毛女を演じた石鐘琴(左から2人目)、松山バレエ団で白毛女を演じた森下洋子(右から2人目)が集まった
『人民中国』が報道した1972年の松山バレエ団第4回訪中公演の記事
2017年、人民大会堂で行われた『白毛女』公演に関する『人民中国』の記事
2017年、松山バレエ団が新版『白毛女』を引っ提げ、第15回訪中を行い、69歳の森下洋子が不朽の伝説を記し続けた
人民中国インターネット版
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