13億人の食糧問題をなぜ解決できたか?

中国共産党中央党校党史研究室教授 謝春濤 氏

謝春濤(しゃしゅんとう)
Profile1963年2月生まれ。山東省臨沭県出身。1988年から中国共産党中央党校で党史と理論の教育、研究に従事している。現在、同校党史研究部副主任、教授、博士課程指導教官。浙江省金華市副市長を兼任。主な編著に『中国の特色ある社会主義史』『転換する中国-1976-1982』『歴史的軌跡 中国共産党はなぜできるのか?』など。
1994年、米国アースポリシー研究所のレスター・R・ブラウン所長は『だれが中国を養うのか』(日本語題。今村奈良臣訳、ダイヤモンド社出版)と題する論文を発表した。その中で、2030年になると、中国の人口は16億人に達し、食糧需要が急増するが、中国は自給できずに、間違いなく世界的な食糧危機を引き起こす、と指摘した。

それから、十数年経ったが、中国ではブラウン氏が述べたようなことが起こらなかっただけでなく、食糧自給率は95%以上に達している。13億人を食べさせるという世界的に見て超弩級の難題を中国共産党はなぜ順調に解決できたのだろうか。

食糧は中国人の命綱

1949年10月、政権を手にした中国共産党は、全国規模で土豪の土地を農民に分配する分田運動に着手した。それによって、農民の働く意欲が引き出され、農業生産力は大きく解放された。わずか4年後の1953年には、食糧生産量が1億6683万㌧に達し、中国史上で最高記録をつくった。その後、党と政府はさらに大規模な耕地で水利インフラの改造、建設を実施し、食糧生産量を年々増加させることに成功した。

1976年、食糧生産量は2億8631万㌧に達し、49年の2倍以上になった。しかし、人口増加も速く、食糧の増加分は人口の増加で帳消しになった。中国共産党にとって、食問題は依然として大きなプレッシャーだった。

最後の国連援助食糧  

1978年、鄧小平氏が中国の核心的な指導者となった後のある党の高層幹部会議で、党中央委員会が農民の権利を尊重し、農業生産を加速することが公表された。この会議の二日前に、安徽省鳳陽県小崗村の18戸の農民は、ひそかに村の土地を各農家に分配した。次の年は、各戸がそれぞれ、国に納めるべき食糧を納め、残った分を自分のものにするという計画だった。この行動は当時の国の政策に違反していたが、空腹よりはましだと考えられた。次の年、この村の食糧生産は意外にも豊作になった。政府に納めた後も、各農家には余った食糧があり、長い間解決できなかった衣食を充足させる課題が解決された。

党中央は農民たちのこの行動に感動し、大衆の知恵を尊重し、この農村の改革行動を直ちに認め、農家の生産高リンク請負制を普及させ始めた。この制度は農民たちの働く意欲をかき立て、1984年までに、中国で一人当たりの食糧生産量は392㌔に増えた。  

鄧小平氏は「天下で何が起こったとしても、人民が満腹になれば、一切が容易になる」と語ったことがある。彼の在任中、中国の大部分の人の生活は明らかに改善された。

鄧小平氏に継いで、江沢民氏も食糧問題を非常に重視し、最初の任期中の1997年、中国の食糧生産量は4億9250万㌧に達し、一人当たり398㌔になり、世界水準を超えた。

胡錦濤氏が党と国の最高の指導者になって以来、中央政府はさらに農業、農村と農民に対する投入を増やし、毎年3000億元以上を投じ、2008年にさらに8000億元以上に増やした。2006年、中国政府は2600年余にわたって存在していた農業税を撤廃した。

2004年のある日、すなわちブラウン氏が中国に警告を発してから10年後、カナダから貨物船「ブルードリーム号」が深圳に接岸した。この船には国連が中国に寄贈した4万3000㌧の救済小麦が積み込まれ、これが国連の最後の対中援助食糧だった。当時、国連世界食糧計画中国事務所のダグラス・ブロデリック主任は次のように語った。「対中食糧援助の中止は5、6年かけて議論し、慎重に決定したものであり、われわれも一貫して中国問題に関心を持ってきた。現在、中国がなぜこうした成功を収めることができたのか、はっきりと理解し、また誇りにも思う」

2007年秋、遼寧省東陵区祝家、深井子鎮の水田は豊作に恵まれ、1ムー当たりの生産量は600㌔以上となった(写真提供・『沈陽日報』)

袁隆平氏の貢献  

鄧小平氏にはこういう名言がある。「科学技術が第一の生産力」。農業科学研究に対する投入の強化は農業科学技術の進歩を推進する重要な基礎であり、しかも食糧増産を実現するカギでもある。21世紀に入って以来、中国政府がこの分野への投入を急速に増加させる段階に入っている。全国の農業科学研究機関に対する総投資額は1991年の29億元から、2005年には4倍増の130億元に達した。

中国農業科学技術をリードする人物の袁隆平氏は次のように述べた。「中国は自ら食べる問題を完全に解決できると同時に、世界の人々の食べる問題の解決にも貢献できる」  

袁隆平氏は1964年からハイブリッド水稲の研究を始め、1975年に成功した。1999年、彼はさらにスーパーハイブリッド水稲を研究し、試験田で1ムー(=畝=中国の地積単位、約667平方㍍)当たりの生産量は847㌔になった。これは、中国の食糧の自給自足という難題の根本的な解決に大きな貢献をしてきた。近年来、ハイブリッド水稲の作付面積は2億3000万ムーに達し、毎年増産した米で6000万人を養うことができるようになった。中国の農民はいつものように「われわれが食べる問題を解決できたのは、『二人の平』のおかげだ。一人は生産高リンク請負制の鄧小平氏で、もう一人はハイブリッド水稲の袁隆平氏だ」と言っている。  

世界的に傑出した米国の農業経済学者ドン・パールバーグ氏は『暖衣飽食の世界へ向かって』という著書で次のように書いている。「袁隆平氏が農業科学の分野で成し遂げた業績によって、飢餓の脅威に打ち勝った。彼がわれわれを暖衣飽食の世界へと導いている」

現在から見れば、普通の作柄なら、中国は五億㌧以上の食糧の年間生産量は保証できる。しかし、2020年になると、中国の食糧総需要は5億7250㌧に達する見込みだ。その需要に満たすためには、中国は毎年少なくとも400㌧の食糧増産を確保しなければならない。そこから分かるように、食糧安保は依然として重大で困難な課題で、中国共産党はこれに対し、一貫して冷静な認識を持っている。

 

人民中国インターネット版 2012年1月5日

 

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