あの村から継ぐ「平和のバトン」 |
鈴木あかね
つい最近、一通の手紙が届いた。それは高校の先生からで、あの村の話が本に載ったという。最後に「大好きな村のことを周りの人にも教えてあげてね」とあった。とてもうれしかった。なんだか口角も緩んで「そうそう」と思わず手紙に返事をしてしまいそうになる。私の中にある大切な場所、人たちを思い出した。 中国には、高校生の時に授業で二度訪れた。最初に中国に行くと決まったときは正直に言うと、かなり不安だった。文化的な違いからくるものもあると今は思うが、当時は本やテレビ、人の噂など、誰かが中国の一面を切り取った、つくった情報しか知らなかった。そしてそれらが言葉にならない私の偏見を生んでいた。 実際に中国を体感し、異文化理解へと考え方・捉え方が大きく変わった。むしろ、今は中国に行きたくて仕方ない。きっと今なら「明日中国に行かない?」と言われても二つ返事で「行く!」と言えるだろう。こんな風に変わったのは村で出会った大切な人たちがいたからだ。 私たちは万里の長城近くの興隆にある村を訪れた。滞在した日数を数えれば片手に収まるほどだが、ここでの学びは今もそしてこれからも私の宝物だ。 この村は戦時中、旧日本軍によって大虐殺が行われ、村の誰もがその歴史を知っている。村には小さな博物館があり、ほんの数枚の写真と展示物がある。けれどもその印象は今も私の頭から離れない。いくつかの写真の中に若い日本兵が写っていた。彼は笑顔でこちらを向いて立ち、その手には人の頭をぶら下げていた。自分が凍り付いていくのを感じた。とても辛く悲しかった。戦争の本当の恐ろしさはここにあると感じた。戦争は同じ人間、同じ日本人をこれほどまで苛酷に変えてしまうのか。 当時子どもだった、村のおじいちゃんたちにお話を伺った。山に隠れ生き延びた方、銃撃される中生き延びた方、震えながら話をしてくれる方もいた。中国語を話す彼らの言葉を直接理解はできない。でも痛いほどその恐怖、悲しみが伝わってくるのだ。 それなのに中国で出会ったすべての方が本当によくしてくださった。ホームステイをさせてもらったり、村の人たちと一緒にダンスをしたり、たくさんの思い出がある。「おいしい」「ありがとう」と数少ない言葉しか出てこなかったが、それでも一緒に過ごすだけで楽しかった。 一人のおじいちゃんが最後に「またおいで」「友だちになろうよ」と言ってくれた。彼にとってそれは、どれほど勇気のいる言葉だっただろうか。本当に、本当にうれしかった。同時に、彼らから「平和のバトン」をもらったのだと強く感じている。きっと日本人の私におじいちゃんたちは、国や人種を超えて共に平和をつくるための話をしてくれたのだろう。戦争はもう二度と起こしてはいけない。そのことをまっすぐに教えてもらった。だからこそ次は私の番なのだ。 昔、この村で日本人は大虐殺を起こした。それは消えることのない、決して忘れてはいけない歴史だ。そんな歴史を持つ村の方々が本当に温かく私たちを受け入れてくれたことを、私はこの先も忘れない。 日本で聞く中国のイメージは決していいものばかりではない。何も知らないとき、人は恐怖心や偏見を抱いてしまう。でも今の私は、ほんの少しだが自分自身が感じてきた中国を知っている。あの国・あの人などに関係なくみな良い点も悪い点もある。自分の知っている世界に合わせてばかり見ていたら、憎しみや恐怖ばかり生まれ、本当に大切なことを見失ってしまうだろう。そう強く感じた。 今、中国に会いたい人、訪れたい村がある。そして受け継いだ「平和のバトン」がある。あのおじいちゃんたちのように、次は私がこのバトンを国や人種の壁を超え繋いでいく。 大好きなあの村から受け継いだ「平和のバトン」をつなぐために私ができること、それはこの体験を綴り、伝えることなのだと思う。そして、またいつの日かきっと中国にいる大切な友だちに会いに行こう。
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