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伝統の匠の技を生かして独学で青島流バイオリン作り

 

 工房で弦楽器を製作中の胡さん(右)と韓さん

1人は還暦60歳、1人は不惑40歳。胡増援、韓永智両氏がいっしょにバイオリンなどの弦楽器を作る光景は少なくともこの10年は見られてきた。青島旧市街にドイツ風の工房があり、そこで彼らは数学、物理学、橋梁工学、美学、音響学から化学さえ駆使して、絶妙なバイオリンを手作りしている。

最初の自作バイオリンを50歳の自分にプレゼント

胡さんは若いころ、大工仕事をしたことがあって、設計、製図が得意で、いろいろ考えることが好きだった。2005年、たまたま出合った初の国際バイオリンコンテストで、胡さんは国際バイオリン展で見たバイオリンに震えた。まるでインスピレーションから生まれたような細工で、胡さんは今でもはっきり覚えている――湾曲は滑らか、ふちどりはくっきり。胴体と内張りは全て柳の木で、内張りはきっちり胴体にはまっている。表面のニスは琥珀色に透き通っていて明るい。胴体内部の状況がバイオリンの音色に込められたバイオリン作者の細心の配慮を物語っている……

たいへん美しかった!胡さんは自分が半生掛けて築いてきた体系が特大の衝撃を受けたように感じて、その場で、「バイオリンを作りたい」と、語った。

春節(旧正月)が直ぐやってくる季節だった。それでも、胡さんは正月用品の準備には気もそぞろで、バイオリンを作る資料を家に持ち帰り、研究に没頭した。陰暦元旦には製作に取り掛かった。図面を床一面に広げ、部分ごとに、メモを取った。胡さんは材料をそろえ、かんなで削り、線を引き、穴をあけ、ほぞを彫りこみ、組み立てて、磨きをかけながら、たたいて調整し、昼夜を分けずに製作に取り組んだ。最終的に、桜の花が咲くころを過ぎた2006年5月1日、彼の50歳の誕生日に、人生で最初のバイオリンが完成した。

楽器製作工房は最初、青島市広西路11号にあったが、数年後、同市費県路102号に移転した。すると常連たちも移転先を訪れ、バイオリンを試しに弾き、調整し、購入し、その中には歳の違うバイオリン少年、少女がおり、米国スタンフォード交響楽団、青島交響楽団、上海交響楽団のプロの音楽家らもいた。

 胡さん、韓さんが製作した楽器で演奏中の国際大賞を受賞した王恪居さんと香港交響楽団首席バイオリニストの李博さん

匠精神から生まれた青島流派

手作業で生まれたバイオリンはそれぞれ異なっている。この十数年来、胡さんと韓さんの工房から、毎日、すばらしい音楽が聞こえてくる。

バイオリンは三十余の部品から作られている。表板、裏板と側板の優美な湾曲が美しい音色を奏でる。胴体の造形と構造に対して、胡さん、韓さんはイタリアの巨匠の最盛期の作品と厳格に比較した。

 精神を集中して楽器を製作している胡さん

1丁のバイオリンを作るのに1カ月かかり、知力、体力、精神力を結集するため、韓さんの手にはまめができ、胡さんは腰や背中が痛くなった。二人の「潔癖追求」は材料の木と時間に対するこだわりであり、バイオリン作りに特有のプロセスでもある。例えば、バイオリンの表板にはトウヒを使い、裏板にはカエデを使う。木は全て何年も前に買ったものだ。新しい木には樹脂や樹油があり、空気中で何年もさらして、乾燥させ、そうした不純物を揮発させ、バイオリンが作っている間に変形しないようにしている。直ぐに消費される商品社会では、自然に乾燥させ作るバイオリンはすでに何丁もないだろう――しかし、彼らは必ず1年以上は陰干しにしている。そのうえ、バイオリンは作った年には売らない。放っておくと、音色はぐんとよくなる。例えば、すべてのバイオリンは全て1人だけで作るので、一貫性が保証されている。彼らがそれぞれのバイオリンに作者の味わいと息遣いを込めることにこだわるからだ。「私たちのバイオリンは商品ではなく、作品です。ブランドはありませんが、署名があります」と、韓さんは誇らしげに話した。

彼らが独学で習得したバイオリン製作は長い間、みんなの驚異の的だ。これに対して、胡さんは決まって次のように答える。「世界的にいかなる事をするにも刻苦勉励と内面的な努力が必要です。私たちは弟子入りして技術を学んだわけではありませんが、大自然と世界一流のバイオリオン作りの名人が先生です。私たちは自分たちの理念を持っています。それが、青島流派です」  (王占筠)

 

人民中国インターネット版 2017年12月25日

 

 

 
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