見せたかったもの

 

牛山文明

私がまだ幼い頃、夕飯の時間は家族でテレビを観ながら食卓を囲んで過ごしていた。7時のニュースが終わった後はバラエティー番組の時間だった。テレビの中では中国人や韓国人を取り上げた映像が流れており、それを観ていた出演者達は笑いながら「汚い」「マナーがなっていない」等とコメントし、周りの出演者達も納得の表情を浮かべる。その番組を一緒に観ていた父もその光景を観て満足気に「全くその通り」とつぶやいていた。そして、私自身もそうであった。父も私も会って話したこともない中国人や韓国人に対し差別意識を抱いていたのだ。 

今思い返すと、実に不快に思う。そういった他国を揶揄して自国を持ち上げる様な番組がこの国では平然と放送されていることを。また、その状況が正しいと思い込んでいた私自身に対しても。そんな私に転機が訪れたのは、高校2年生の頃だった。大学受験の為に履修していた英語の授業では、日本にいる外国人の人々と交流が出来るという内容だった。しかし、授業開始早々最初に連れて行かされたのは、とある朝鮮学校だった。 

当時、日本人の多くは北朝鮮人や韓国人に対して迫害のまなざしを向けていた。その日までは私もその中の一人だった。行きたくないと思いながらも、私はその日の校外学習である在日朝鮮人の生徒達との交流会へ参加した。日も暮れて家路につく頃、私はとても楽しく充実した時間を過ごせたことに満足していた。そして、今日一緒に楽しくお菓子やジュースを口にしながらたくさんお喋りをした友人達が北朝鮮人や韓国人であったということを思い出した。その瞬間、私はいかに自身のそれまでの思考が愚かであったのかを思い知った。生まれ育った国が違えども、同じ人間なのだ。私の思考は180度ひっくり返った。 

時が流れ、私は大学生になった。受験のためだけに勉強していた英語への学習意欲は、大学の合格通知を受け取って以降見事に姿を消していた。しかし学部の勉強だけではいずれ飽きてしまうと考え、中国語を試しに履修することにした。最初の一年が終わり大学特有の長い春休みの中で、私はふと中国語検定試験の存在を思い出した。「せっかく履修したのだから、一番簡単な級だけでも受けてみよう」と、暇を持て余した私の頭の中でそんな声がよぎった。 

私はすぐさま参考書を買いに行き、残り一か月程しかない検定試験までの間をほとんど中国語の勉強に費やした。一か月後、私は見事に合格していた。合格通知を受け取った私はあることに気付いた。「もっと勉強したい」と願う気持ちが溢れ出てきていた。中国語を勉強している時間が楽しくて仕方がなかった。 

そんな時、大学が実施している北京への短期留学に目を付けた。是非行ってみたいと思った私は一か月間の留学を決意した。それを見た父は私に「中国語は就活に役立つね」と言った。「違う」と私は直感で答えた。私はそんなことのために中国へ行きたいのではない。多くの中国人と直接話し合い両国間の関係悪化の原因であるメディアによって創られた誤解を解きたかった。それが、私の北京留学の最大の目的だった。当然中国人を揶揄していた父はそんな私に反発し、以降父とはほとんど口をきかなくなった。「北京で出会った心の暖かい人々や楽しかった日々を、父の目の前で堂々と話してやる」と私は意気込んでいた。しかし、帰国した時には父は既に亡き人となっていた。末期の膵臓癌だった。 

中国へ行くたびに父が記憶の中で蘇る。気さくで温かい人々、美しい街並み、歴史を感じられる胡同。「中国って実はいいところでしょ?」と、父に見せたかった。現在、私は日本へ来た中国人の子ども達に教科書の翻訳を行うボランティアを始め、中国へ行っては多くの人々とふれ合い、日本で中国人を見つけては交友を深めている。これが私の望んだことで、父に認めて貰いたかったことなのだ。父はそんな私を見ていてくれているだろうか。


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