歴史の傷痕を残す城壁で

 

次に訪中団一行がやって来たのは南京。ここは歴史の余韻と高層ビルが交わる包容力あふれる町であり、中日関係にとって重要な意義を持つ町でもある。ここで訪中団は南京大虐殺遭難同胞記念館を訪れ、彼らにとって重大だが詳しくは知らなかった歴史に触れることになった。

記念館では始めに館長との座談会が開かれた。張建軍館長は日本の若者たちに、歴史を銘記し、未来へ向かう重要性を語った。彼は歴史に対する日本の態度を、荷物を背負って川を渡ることに例えた。「中日間において、歴史問題は川のような存在だ。渡るしかない。しかし川を渡る日本人は、まず背負った荷物を下ろさなければならない。否認や反論する気持ちで歴史を見ているなら、川の水が染みてきて、荷物はますます重くなる。南京の歴史を認め、客観的に見つめることは、日本が素晴しい国であることを否定することにはならない」

展示室に入った青年たちの表情は次第に厳しいものになった。当時の悲惨な場面を記録した写真を目の当たりにして、彼らは大きな衝撃を覚えた。ペンとノートを握り締め、今まで触れることのなかった歴史を少しでも多く頭に刻み込もうとしていた。

大西栞奈さん(17)は、「今日、実物を目の前にして、これが歴史の一部分だということを実感した」と話した。加藤亜衣さん(24)は、「これらを中国人の友人は学んでから、日本の歴史と日本語を専攻して日本に留学に来てくれて、日本人である私を『家族のような存在』だと言ってくれた。日本人であるのに、中国と日本の歴史を十分に学んでいなかったとあらためて感じた」と中国の友人との付き合いを思い返し、しみじみと語った。

見学の際に訪中団員が見せた感情は、他の見学者や中国メディアの注目を集めた。ある見学者は記者に、「このようにきちんと歴史と向き合える日本の若者の姿を見て、中日関係の未来は明るいものだと感じた」と言った。

その後、南京城の城壁の下までやって来た訪中団。歴史の重みと風情を物語るこの壁には、まだ戦争の爪痕が残っている。侵略による破壊から城壁を救う建て直しは中日共同で行われた。

中日共同修復作業を発案し、実行したのは当時日中友好協会の会長だった画家の平山郁夫だった。その年はちょうど反ファシズム戦争終戦50周年の年で、平山はこの修復作業を通じて、日本がこの南京の町にもたらした傷を少しでも癒やそうとした。その後3年間、日中友好協会は日本国内で多くの人々を募り、積極的に修復作業に参加するよう呼び掛けた。また大規模な募金活動も実施した。その結果、城壁修復作業のボランティアのために南京へ赴いた日本人は2万人を超え、日本からの募金は7千万元を超えた。

平山郁夫は言う。「南京城壁の修復活動に携わるのは、単なる文化遺産の保護のためだけではない。それをはるかに超える大きな意義があるのだ」

平山郁夫はこの活動を通じて、歴史問題によって中日両国の国民の間に立ちはだかっていた心の壁を取り壊し、中日の和解へと通じる懸け橋を築き上げたのだ。天気の良い午後、訪中団一行は南京大学の学生と共に城壁に登った。彼らは中日両国民の共同修復によって築かれた友好の歴史を物語る城壁をしっかりと踏み締め、共に中日友好の意義について考え、語り合った。苦難を経験した人は平和を強く望む。歴史の傷跡を背負う町もそうだ。平和を望むこの町で、中日両国の青年たちは苦難の歴史を心の底にしまい、共に明るい未来へと歩み始めた。


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