北京大生と読む渋沢栄一

2020-06-23 17:13:19

馬場公彦=文

 今学期担当する授業の一つに、大学院1年生の日本語翻訳クラスを対象にした「日中翻訳文例分析」という科目がある。邦文の作品を取り上げてさまざまな中国語訳を施して比較衡量するという趣旨である。思案の挙句、テキストを渋沢栄一の『雨夜譚』(初版は1913年)の岩波文庫版に決めた。受講生の5人に毎週5ページずつ翻訳を課し、授業では5種の訳文の正誤・適否を比較しつつ定訳を固めている。

 渋沢は2024年度に刷新される1万円紙幣の肖像として採用され、来年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公ということもあって、日本ではぐんと認知度が上がっている。一方中国では、もっぱら『論語と算盤』の著者とのみ知られているようで、ネットで調べてみると10種ほどの翻訳とそれを上回る版本が出ている。だが栄一の基本的な伝記資料である『雨夜譚』は、わがクラスにとっては幸いというべきか、まだ中国語訳が出ていないようだ。

 渋沢栄一とはいかなる人物かについては、飛鳥山の旧渋沢邸に建つ渋沢史料館(館長井上潤氏)のHPに詳細な年譜がある。近代日本の礎石を築いた偉人である。社会的な活動範囲と影響力は財政・金融・産業・教育・福祉事業と広く、90年余りにわたる生涯においても、注目すべきポイントは枚挙にいとまがない。幕末維新期に青年期を送り、倒幕攘夷から尊王開国への世相の転変を単に傍観するのではなく、慷慨憂世の気概に駆られて自らの行動で切り開いていったこと。農民出身でありながら、国家のために犠牲となる覚悟で故郷や家禄を捨て節操を堅持しつつ立身出世を遂げたこと。封建的な門閥や俗信を嫌う合理的発想に優れ、世禄世官による徳川政府の積弊を憎みつつも幕府に仕え、官尊民卑の風潮を嫌いつつも新政府に仕え、さりながら仕官の途に拘泥せず、民間事業へと転じるなど、柔軟に激動を乗り切り国家の大計に貢献したこと。西洋の近代社会を見聞することで、開国の重要性を痛感しただけでなく、近代的な銀行制度を導入するなど、実学的な応用力に卓越していたこと。

 ことに中国語訳を付ける過程で気付いたことは、栄一の教養と素志の基礎には、漢文教育によって培われた儒教道徳があることだ。青年期の倒幕攘夷を目指しての武装決起の未遂の企てには、『孟子』の革命論の影響があり、戊戌六君子や辛亥革命志士たちの行動に通じる。『雨夜譚』には中国の故事来歴が典拠となった記述がしばしば見られる。

 2020年の今年、中国はGDPをここ10年で倍増させ、1人当たりGDPが1万㌦を越す小康社会に入ることが国家目標とされている。新型コロナウイルスの感染拡大により目標達成の見通しは不透明だが、長期的スパンで見ると、改革開放からの40年余りは、富める者から富んで経済をけん引していく「先富論」が高度成長を達成させた。これからは貧困者の底上げをして福利厚生に配慮しながら、国民全体で経済の底上げと安定成長を図る「均富論」に基づく社会デザインが求められていると思う。栄一は三井や三菱といった大財閥の拡張と利殖を旨とする経済の道とは一線を画し、健全な金融と道徳と合一した会社経営を提唱し、教育事業や社会福祉事業を官民一体となって取り組もうとした。まさにその「経世済民」としての経済の道にこそ参照すべき価値がある。

 近代日本は富国強兵政策によって財閥が国家権力とつながって国家資本主義を肥大させ、対外侵略と領土拡張によって軍国主義一色となった、という理解は、歴史の結果論として間違ってはいないかもしれない。だが、歴史の中には声は小さいかもしれないが、さまざまな異論が刻印されている。非戦論を唱えた内村鑑三、五四運動を正当に評価した吉野作造、小日本主義の立場から植民地放棄を訴えた石橋湛山など。渋沢栄一は彼らの祖ともいうべき人物である。栄一の生涯と事業に中国から新たな光が当たることを願ってやまない。

 

渋沢栄一(国立国会図書館ウェブサイト「近代日本人の肖像」より転載)

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