上がるに上がれぬ北京すごろく

2021-04-28 11:18:19

馬場公彦=文

しばしの休載を経て、連載を再開しよう。実のところ第4回以降先回までは羊頭狗肉で、一時帰国をして横浜に足止めのまま書いた記事だった。昨年1月半ばに帰国したときは中国の「疫情」にやきもきしていたのが、2月下旬から見る間に日本での「疫情」が深刻化し、戻るに戻れなくなった。

さすがに2学期もネット越しの授業が続くと、対面授業への渇望が高じる。後期の開講の9月頃から、ちらほらと日本からの渡航のうわさが聞こえてきた。当時は渡航地での隔離は2週間だった。11月になって私に北京大学からの帰任の指示が届き、ようやく私も北京での公務復帰への道程のスタート地点に立った。

だが1月に入って、渡航地で2週間+1週間、北京到着後1週間の隔離へと変わり、ゴールは遠くなった。北京への直航便はなく、大連便を予約した。だが間もなく大連が感染リスク地区となり、広州便に変更した。1月下旬にリモートでの試験監督を終え、学科に成績書を提出した直後、出航前72時間以内とされたPCR検査を横浜で受けた。二重マスクの上にゴーグルを着けて成田国際空港に入ると、中には防護服着用の乗客もいた。

広州白雲国際空港でPCR検査を受け、バスに乗せられ、隔離用ホテルに着くまで4時間。ホテルの部屋には14日分24本のペットボトルと体温計が置かれ、1日2回の体温測定と報告が命ぜられた。禁酒・禁煙である。その間ルームサービスや室内清掃はなく、1日3回弁当(総額70元)がドアの外に置かれた。

次の1週間の隔離ホテルは自分で選べる。広州の知人に紹介されたホテルは、バスタブがあり、ベランダがあって快適だった。ここで春節(旧正月)を迎えたが、年越しイベント番組「春節聯歓晩会」を観たほかは、新年の気分は味うべくもない。ただ全身浴と日光浴ができ、ストレスは軽減できた。

北京ではいっそう防疫措置は厳しく、北京到着前72時間以内のPCR検査陰性証明が必要だ。北京首都国際空港で1年ぶりの北京の空気を吸ったのもつかの間、さらに1週間の隔離。古巣の宿舎なら耐えられると思った矢先、渡されたのは宿舎と同じ棟にある狭い隔離専用部屋のキー。かくして28日の隔離に耐えられたのは、デジタル通信技術のたまものだ。電子書籍を読み、ネット検索で論文を書き、ネットメディアで映画やポップスやアニメを楽しんだ。

7日の隔離が明けて「解放」された夜、外気を腹いっぱい吸おうと近所を散策した。景色も空気も行きつけの店の店員の不愛想も以前のまま。だが団地の抜け道のゲートはことごとく施錠され、スマートフォンアプリ「北京健康宝」のスキャンなしには身動きが取れない。翌朝は円明園に駆け込み、一心不乱にジョギングした。28日間部屋から一歩も出ず唯一の運動器具は持ち込んだバランスボールだけのなまった筋肉は悲鳴を上げたが、暫時失われた肉体の実感が戻ってきた。だがこれで北京すごろくはゴールではない。さらに北京大学のキャンパスに入るには、北京でのPCR検査陰性証明による顔認証の申請が必要だ。

全土に敷かれた防疫措置は水も漏らさぬほど厳しい。海外帰国組には外出制限と関連費用の一部自己負担が要求される。だがこれほど厳しい措置が義務付けられているからこそ、ここまで僅少の感染者で抑えられている。そう自らに言い聞かせて北京すごろくは上がりとなった。

 

隔離部屋で迎えた除夕(大みそか)。広州の友人がお寿司を差し入れてくれた。奥の緑の球はバランスボール

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