キーワードは対口支援

2021-05-26 11:21:49

馬場公彦=文・写真

3月8日、新学期が始まった。前日の週末は、帰省先の郷里から戻ってきたスーツケースを転がす学生たちで、校門はひしめき合っていた。

1年2学期ぶりの対面授業。それまでパソコンの画面越しでしか会えなかった学生たちが、リアルの立体人間となって教壇の私に熱い視線を送ってくる。教育の醍醐味は、やはり互いの体温が伝わる現場感覚にある。

今のところ校門を出入りできるのは、「刷臉」(顔認証)をパスできる学生・教員・職員だけ。新型コロナ防止が最優先で仕方がないが、キャンパスの人波の中には、大学外部の人はいない。留学生にも中国語以外の言語にもほとんど出くわさない。

中国共産党創立100周年の今年、CCTV(中央テレビ局)の1チャンネルでは連日、100年前のわが北京大学を舞台にした大型ドラマ『覚醒年代』が放映されている。当時の学長の蔡元培が強調していたのは、いろんな立場や思想の人々が集う大学の自由な気風である。そこに登場するさっそうとした青年時代の毛沢東は当時湖南第一師範学校生だった。

北京大学だけではない。あらゆる施設で、入場の際に「北京健康宝」(個人の健康状態と移動の履歴が記録されるアプリ)をスキャンしなければ入れない。地方から北京に入るにもPCR検査など、いろいろな規制がある。レストランや商業施設など、かつてのにぎわいはまだ戻っていないように見える。

ではなぜ経済は好調なのか。経済活動の表層と実体の乖離を解く鍵の一つは、非接触型消費経済にあると思う。買い物はeコマース、食事はデリバリー、支払いはキャッシュレスであって、活発な消費活動は視界からはうかがえず、バーチャルに展開されている。その証拠に、速達荷物を満載した宅配便の小型電動車やバイクが、街中を縦横無尽に行き交っている。

とはいえ、アフターコロナの社会を、オンラインとバーチャルだけで覆いつくすことはできない。中国が新型コロナ対策に成功したのも、貧困脱却の偉業を達成したのも、人々が感染地区に赴いて患者の治療や看護に当たり、貧困地域に入って地元政府と協力して貧困対策を講じたからだ。

キーワードは「対口支援」。例えば北京大学では雲南省やチベット自治区の辺鄙な貧困地域に、北大内の機関や学生が何年も住み込んで、水利事業や村おこしのための産業振興や教育事業に従事している。関係者はさる2月25日人民大会堂で行われた全国貧困脱却堅塁攻略総括表彰大会で表彰された。

新型コロナにせよ貧困にせよ、対策現場の特定_党による各事業単位への支援者の要請_指名された事業体ごとの志願と人選_人員の派遣_活動の実施_活動報告とフィードバック_成果に対する栄誉の表彰_参加者の実益というサイクルが回っているのである。実益とは参加したことが当人の進学や昇進のキャリア形成になるということだ。

日本ではこうはいかない。新型コロナのケースを考えてみよう。鳥取は大阪の感染者を、茨城は東京の感染者を受け入れない。地方のことは地方で完結するのが地方自治とされるからだ。私立病院は重症患者を受け入れたがらない。病床不足という理由のほかに病院経営に差し障るからだ。さらにメディアは医療従事者の苦労や低い報酬や被差別といった問題ばかりを報道する。貢献の美談では視聴率を稼げないからだ。

中国のまねをしろというのではない。ただ中国での成功を権威主義や独裁だからと片付ける前に、もう少しミクロの視点から、現場でリアルに活動する当事者へのディテールを見る必要があるように思う。

 

北京大学キャンパスの未名湖のほとりに建つ蔡元培元学長の銅像

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