茶(一)

2022-02-11 15:04:03

姚任祥=文

お茶と茶器の思い出

今時の茶道にこだわる人々と比べると、私の親の世代のお茶はずいぶん簡単なものだった。使われる茶器は、厚みのあるガラスのコップ一つだけ。このグラスには、伝統的な梅蘭竹菊の絵が描かれ、半透明のプラスチックのふたが付いている。ふたの真ん中には丸い突起があり、それをつまんでふたを開ける。

その当時、家のお手伝いさんは、朝起きると、まず湯を沸かす。そのままコンロの上で湯を何分間か沸騰させる。次に、グラスに茶葉を一つまみ入れ、湯をグラスの5分の1ほど注いでふたをする。これが「沖茶」だ。

しばらく待つと主人が起きて咳払いをするのが聞こえてくる。すると、お手伝いさんはお茶の入れ時になったことを知り、再び湯を沸騰させる。そして、先に茶葉を蒸らしておいたグラスに、湯を八分目まで入れ、少ししてから主人の元へ届ける。主人はグラスを持ち3、4回息を吹きかけ、ゆっくりと一口飲んで満足そうにホッと息をつく。これが良き一日の始まりだ。

主人は丸一日、その一杯のお茶と共に過ごす。朝は濃かったお茶の味が、湯をつぎ足すたびに少しずつ薄くなる。こうした飲み方は、あの世代の人ならではのお茶のたしなみ方だ。そこには、質素だがくつろいで、物を愛し大切に扱う生活態度が表れている。これが私のお茶についての最初の記憶だ。

 

私のお茶の二つ目の記憶は、家ではなく仕事場でのシーンだ。それは、ある企業の2代目若社長の会社オフィスを改装しに行ったときのことだった。その若社長は留学の経験があり、斬新な企業管理の考えを持ち帰って来た。企業の若返りを実現するため、新しいオフィスを現代的なデザインにするよう私たちに設計を依頼していた。

工事が終わり新しいオフィスに引っ越した日、私たちは若社長と一緒に一新されたオフィスを鑑賞しに行った。そこに、社員一人一人が梅蘭竹菊のグラスを持って入って来た。グラスの上には透明なプラスチックのふたが、中には淡く黄色いお茶と、たぶん一日中入っているだろう茶葉が見えた。

若社長は頭を横に振ってため息をついた。おそらく、あまりにも雰囲気を壊していると感じたのだろう。その時に思ったのは、彼の梅蘭竹菊のデザインについての印象は、私とはかなり違うということだった。

若社長は諦めなかった。新しいオフィスのモダンなスタイルに合うように、市場に出始めたばかりのステンレス製のコップを社員たちに買い与えたのだ。シンプルなラインと斬新なデザイン。値段もかなりのものだった。

社員たちと新しい雰囲気の中で引き続き事業に頑張っていこう――と願いも金もかけたコップだった。だが、そんな若社長の気持ちをよそに、古株の社員たちは感謝するどころか、使い慣れないコップのことを先代社長に訴えたのだった。

身一つで会社を大企業にまで育てた先代は、当然若い頃から自分に付いて事業を築き上げてきたベテラン社員たちを大事にしていたので、速やかに全てのステンレス製コップを回収するよう命じた。それからというもの、ベテラン社員たちはまた楽しそうに梅蘭竹菊のガラスコップに一日一杯のお茶を入れるようになった。

 

私のお茶にまつわる三つ目の印象とは、木彫で有名な三義(台湾中部の苗栗県)で「老人茶」を飲むシーンだ。当地の人たちの家には、お茶を入れる道具や大小さまざまな急須や湯飲み茶わんがあり、それらを使ってお茶を飲む様子は、まるでお年寄りたちの「ままごと」のようだ。

当時は台湾経済が飛躍し始めた時代で、多くの人が寝る時間もないほど仕事で忙しかった。おそらく「老人茶」の名の由来も、ゆっくりお茶を楽しめるのは時間に余裕のあるお年寄りだけ、ということから来たのだろう。だが、「老人茶」を飲むのはお年寄りだけとは限らないし、当時の台湾の環境も、落ち着いてお茶を味わう喜びを感じるものではなかった。

私が三義で目にした「老人茶」には、どれも木彫りの大きなテーブルが付いていた。そのテーブルの脇には、鉄製の湯沸かしスタンドが置かれ、スタンドの底部にはガスコンロかアルコールランプがあり、上部には大きなアルミのやかんが乗っていた。

そのほかに紫砂(江蘇省宜興産の陶土)で作られた小さな急須と、茶葉を取り出す道具がいろいろあった。最もお粗末なアルミのやかんに、最も高価な紫砂急須という組み合わせは、見た目が何とも釣り合わず、とても違和感を覚えた。

「老人茶」を入れるとき、主人は茶葉を小さな急須いっぱいに入れる。続いて急須に湯を注ぎ、しばらく蒸らしてから、お茶を注ぎ口のある広口の陶器の茶わんに移す。それから客の小さな湯飲み茶わんに一杯一杯注いでいく。

何度か飲んだ後、主人は急須いっぱいに膨れ上がった茶葉を専用の道具でかき出す。そして新しい茶葉をいっぱいに入れ、再び湯を注ぐ……これを何度も繰り返す。私は、かき出された茶葉にはまだ味が残っているのに無造作に捨てられるのを見て、何ともったいないことだと思った。

その大きな木彫りのテーブルには、大小さまざまな色の茶筒が並んでいた。また、プラスチックの皿が置かれ、茶菓子のヒマワリの種やピーナッツ、お菓子、むいた後のヒマワリの殻やあめの包み紙も入っていた。テーブルをはさんで向かい側のテレビ台には、テレビの他にさまざまな記念の盾や花瓶、記念写真、本や新聞、雑誌が置かれていた。

つけっぱなしのテレビでは、いろいろな人物や風景がガヤガヤという音と共に目まぐるしく切り替わる……そこに座っていると、視覚も聴覚も味覚も混乱してしまい、思わず梅蘭竹菊が描かれたグラスが懐かしくなってしまう。何とも単純な、一日一杯のお茶なのだろう。

「老人茶」の風潮は、その後徐々に廃れていった。ここ何年かは、台湾の生活文化もますますセンスにこだわるようになり、茶道の雰囲気も静かでくつろぎを求める傾向で、お茶の達人も増えてきた。また、お茶仲間による茶会も盛んになり、そこにはきめ細やかな奥深さを見ることができる。例えば、生け花からテーブルクロス、布や竹のコースター、工夫を凝らした茶菓子まで、茶会の細部に創意が宿り、会場の雰囲気を引き立てている。

 

このような茶会は、日本の茶道のように堅苦しい礼儀作法にはこだわらない。ある人は日本の茶道を「和敬清寂」(和やかで恭しく静かで清らか)と形容し、私たちの茶道を「人情義理」(思いやりと誠実さ)と形容しているが、まさにその通りだと思う。

私たちが静かにお茶を味わうのは座禅と通じるものがある。それは、現代人が忙しい合間を縫ってホッと一息つき、人格を陶冶し、煩悩を捨て去り、心が解き放たれる喜びを楽しむのに最もふさわしいものだ。

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