貧乏人のソーセージ

2018-02-02 16:06:35
  

陳笑海=文 砂威=イラスト

 雪が止んで晴れ上がると、隣人たちは皆、争うようにして干し肉を外に出し、乾燥させるので、下から上を見上げると、ほとんどの家のベランダに手作りソーセージの束がぶら下がっていた。小学2年生の息子が昼に学校から帰ってくると、玄関に入るなり、「なぜウチにはソーセージがないの? 僕、ソーセージが大好きなのに」と嘆いた。妻と私は悲しみながらもほほ笑んだが、心が痛んだ。そうなのだ。私も職場を離れたので、昨年9月から給料をくれるところがなくなり、一人家で本を読み、文章を書き、毎月の生活費を稼ぐのがやっとなのに、年越し用品を買うお金がどこにあるというのだろうか。

 他の家のベランダにぶら下がるソーセージが黄金色に艶々と輝いているのを見て、息子は食べたくて仕方ないようで、食事前にはいつも「今日もソーセージはないの?」と聞いた。息子がソーセージを食べたいとねだるたびに、妻の目は涙で湿った。

 町で電線工事が行われ、数日続けて停電したため、パソコンでものが書けず、付近の市場をぶらぶらして、息子にソーセージを作ってやれるか見てみようと思った。しかし、なんと、肉売り場の赤身肉は2・5㌔からの量り売りで、500㌘8元では、値段交渉の余地はなかった。服のポケットに入っている50元札1枚では、3㌔の赤身肉しか買えない。ソーセージを作ったら、ご飯を食べることができないではないか。どうやら息子のために何㌔かのソーセージを作るというのは無理らしい。

 憂鬱な気持ちで、市場の横にあるスーパーに入ってみた。加工食品売り場の前をゆっくり歩いていると、四、五人の女性販売員があめやお菓子を勧めてきたが、お金がないので何も言わずに通り過ぎ、また干し肉売り場まで来た。よい香りが漂う干し肉売り場の前に立ち、私は品定めをしているふりをして、ようやく販売員に、「ソーセージを1㌔ください」と言った。腰に大きなエプロンをした女性販売員の顔はたちまち曇り、先ほどまでの愛想はどこへやら、私を横目でにらみ付けながら、疑い深げに、「ソーセージ1㌔?」と言ったので、私は「はい」と答えた。女性販売員は極めて不満げに端っこを4切れ切り落とし、はかりに乗せると1・25㌔、計25元だった。彼女は「さっきのおばあちゃんなんかソーセージを10㌔も買っていったわよ」と文句を言い続けた。彼女の声は小さかったが、しっかり聞こえてしまったので、家にはもうたくさんソーセージが作ってあって、スーパーに1㌔だけ買いに来たのは、ちょっと口直しをしたかったから……という話が口先まで出かかったが、結局言わなかった。1・25㌔のソーセージをぶら下げて、今日のお昼には息子にソーセージを食べさせてあげられると思いながら、急ぎ足でスーパーから出た。

 しかし、妻は息子のためにすぐにソーセージを料理するつもりはなく、その数個のみじめったらしいソーセージをベランダの目立つところにぶら下げた。妻は、「ソーセージはまだよく乾いていないので、幾日か干して、乾かしてから調理するともっとおいしい」と言うのだ。妻が台所に行ってしまうと、私の目からは涙が湧き出てきた。

  

翻訳にあたって

 「腊」は、塩などの調味料に漬けた後、干したり薫製にしたりした魚や肉のことで、腊月(旧暦12月)につくられるため、そのように呼ばれるようになった。この文に出て来る「香」=中国版ソーセージもその一種。保存食、年越し用品として用意しておくものであり、かつてはこれらの蓄えの多寡がその家の豊かさを象徴するものでもあった。

 市場では、「一斤」=500㌘単位での量り売りが主で、「○○を何斤ください」と売り子さんに量ってもらって買うのが中国流。必要な分だけ買えるという長所はあるものの、この文のように少量の買い物は売り子さんに嫌がられ、多めに買わせられてしまうのも、ありがちなことだ。(福井ゆり子)

  

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