3株の白菜(抜粋)

2019-11-28 19:31:15

莫言=文

砂威=イラスト

 

 とうとう市場にやって来た。母はかごを7番目の叔父のそばに置くと、私を学校に行かせようとした。私も行こうとはしたが、おばあさんがわれわれの白菜の方にやって来るのが見えた。彼女はか細いしわがれた声で白菜の値段を聞いて、首を横に振った。どうやら高いと思ったらしい。

 しかし彼女は去らず、かがんでそのぼろぼろの羊の皮の敷物を広げ、われわれの3株の白菜をひっくり返した。彼女は一番小さな白菜の切れかかった根をひっぱり、その後枯れ枝のような指で白菜を次々とつついて、口をひん曲げて、われわれの白菜は巻きが甘いと言った。

 母は悲しそうな声で「おばあさん、この白菜を巻きが甘いと言うけど、市場のどこにしっかり巻いた白菜があるって言うの」と言った。

 私はそのおばあさんに対する嫌悪感でいっぱいになった。白菜の根を切ってしまうのは許すとしても、良心のかけらもなく白菜の巻きが甘いと言うとは。私は耐えきれずに「これより硬かったら石ころだよ」と言ってしまった。おばあさんは驚いたように私を見た。母はこちらを向いて私をしかった。「子どもが、何ていう口を利くの!」

 おばあさんは一番小さな白菜のしおれた葉を剥ぎ始めた。私はとても腹が立ったので、彼女に、「やめてよ、それを剥いじゃったら、あとどうやって売ればいいの!」と言った。「この子はどうしてこうつっかかるんだね」とおばあさんはぶつぶつ言いながら、葉を剥ぐ手を止めなかった。

 彼女はとうとうその白菜のしおれた葉を全部剥いで、真っ白なみずみずしい葉を露出させてしまった。このような白菜でギョーザをつくったら、どんなにおいしいことだろう。おばあさんは白菜を抱えて立ち上がり、母に量るようにと渡した。とうとう重さを量り終えると、おばあさんは、「でも私は計算ができないよ」と言った。

 母は片頭痛のため、計算しようとしてもうまくできず、私に、「社闘、計算しなさい」と言った。私は草の茎を探してきて、学んだばかりの掛け算を使って地面で計算した。数字を告げると、母はそれをそのまま告げた。

 「間違いないだろうね」おばあさんは疑うような目つきで私をにらんで言った。

 「自分で計算してみたら」と私は言った。

 「この子は、どうしてこんな乱暴な口を利くのかね」おばあさんは低い声でつぶやきながら、腰から汚いハンカチを取り出し、それをめくっていくと、とうとう札束が現れ、それに唾を付けながら一枚一枚数え、ようやく数え上げたお金を母の手に渡した。

 学校を終えて家に戻った私は、中に入るなり、母がかまどの前でぼんやりとしているのを目にした。3株の白菜は全てかごの中に転がっていて、あの一番小さなやつは、しおれた葉を剥がれてしまったためにひどく凍り付いてしまっていた。私の心は急に重くなり、最悪の事態が起こったことを悟った。

 母は頭を上げて、目を赤くして私を見て、しばらくして、私が一生忘れられない声音で言った。「お前はどうしてあんなことをしたんだい、一毛多く計算するなんて」

 「母さん」私は泣いて言った。「僕は……」「お前は今日、母さんのメンツを丸つぶれにしたんだよ」と母は言いながら、2粒の涙をほおに流した。

 これは私が見た、強い母の初めての涙だった。今思い出しても、依然として心が痛む。

 

翻訳にあたって

 作者の莫言は1955年山東省生まれのノーベル賞作家。ここに掲載していない前半部分には、3株の白菜が市場で売られるまでの経緯が述べられており、育ちが悪かったために売り物にせずに、年越しの際に自分の家で使おうと大切にとっておいた白菜であることが語られている。この白菜が主人公にとっていかに大切なものだったかがこれにより分かるため、主人公がこの白菜を粗末に扱うおばあさんを嫌う心情がよく理解できる。
 中国の野菜・果物は量り売りが主で、スーパーで売られるものであっても、500㌘でいくらと値段が付けられているのが普通。そのため、買い手は不要な汚くなった外の葉を剥いでから、はかりに乗せることも珍しくない。みんながよい野菜だけを見繕って買って行くので、時間が遅くなればなるほど、傷んだ野菜しか残っていない。そのために、「買い物は朝一番にするもの」と考える人が多い。(福井ゆり子)
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