今年注目されているのは深圳の「革新」と山口の「維新」

2018-04-28 11:18:55

陳言=文

 最近、深圳へ行く機会が比較的多くなり、暇ができると、ホテルで読書をしたり原稿を書いたりするほかに、深圳市内をあちこち歩き回っている。

 山口県には私が5年間、萩市の大学で教壇に立った縁があり、9年間、研究や勤務で滞在した東京よりも詳しく知っているつもりだ。北京に戻ると、すぐに北京の山口県人会に入会し、時間があれば、必ず県人会に出席し、さまざまな活動にも参加している。

 今年に入って、中日のメディアが深圳、山口を取り上げるケースが増え、両方と縁が深い筆者も発言をしてみたい。

深圳と香港の関係が逆転

 深圳で、筆者はテレビ局に勤めている友人に案内されて福田区蓮花山公園内の丘に登った。十数分で山頂に着いた。そこには、鄧小平の塑像がそびえ立ち、多くの人が献花し、それよりもっと多くの人々が記念撮影をしていた。

 塑像の近くに記された紹介文を読むと、鄧小平は1984年1月26日に深圳に来たことを知った。当時、改革開放はすでに数年を経過し、深圳自体にも重大な変化が生じ始めていた。その年、大学を卒業して3年目を迎えていた私も、初めて深圳に出張した。当然のことながら、深圳に到着すると、隣接する香港を見に行った。仕事を終えると、すぐ香港中英街方向に歩いた。そこには深圳と香港を隔てる有刺鉄線も高い壁もなかった。見ると地面に白いれんがを並べて引いたラインがあり、この点線を越えると、向こう側は香港だった。中英街へ出かけるのがこれほど簡単だとは思いも寄らなかった。

 深圳側の道路はほとんど未舗装で、向こう側はきちんと舗装され、商店が軒を連ね、ジーパンなどの流行のファッション、私たちの数カ月分の給料に相当するテープレコーダーを売っていた。香港は憧れの場所であり、大いに刺激的だった。

 その後30年余り、何回も香港に行く機会があったが、回を重ねるごとに感動することがなくなってきた。面積でいえば、深圳は1996平方で、1106平方の香港の2倍近い。人口で比べると、深圳は表向き1190万だが、統計に含まれない長期滞在者がかなり多く、740万の香港の2倍以上に感じられる。深圳の特徴は発展の速度が極めて速いことだろう。昨年の国内総生産(GDP)の規模はおおむね香港を上回り、今後数年で、例えば5年後の23年には、当面の発展速度から計算すると、大幅に香港を上回るかもしれない。

 過去数十年、香港に近接しているゆえに、深圳は資金、技術、貿易の各方面で多くの利益を生み出したが、今では深圳が香港を超えているし、しかも、香港がこのわずか数十年の歴史しか持たない新興都市を超越することはすでに困難だろう。

中国を変えつつある深圳

 なぜ筆者はこのように深圳を高く評価しているのか?

 過去に、例えば92年3月、鄧小平が発表した「南方談話」について、その歴史的な役割はここであえて言うまでもあるまい。現状を見て、深圳の研究開発などの面における役割を誰しも見くびることはできないだろう。

 北京で、日本のある大企業の役員と話していた時、たまたま深圳の研究開発が話題になり、先方は深圳に人員を常駐させる必要性があるかどうかについて、筆者の意見を求めた。同社は米国のシリコンバレーには要員を派遣しており、彼らは常に現地の研究開発に注目し、シリコンバレーで企業合併買収(M&A)も行っている。今日、シリコンバレーの技術と深圳の製品化、商品化が結び付き、深圳の製品化能力、製品化後の中国と国際市場における販売動向についての深い分析がなければ、ビジネスとして成功するのは困難だ。

 かつて経済特区という制度が優勢だった当時、香港に隣接するという「地の利」はその他の地域が持ち合わせていない地理的条件であり、その利点が深圳を急速に成長させたが、今日、深圳に自動車企業のBYD、世界のドローン(無人機)市場のシェア70%を誇る大疆(DJI)、毎日、10億人前後のユーザーにソーシャルネットワーキングサービス(SNS)やウイーチャットペイのオンライン決済手段を提供している騰訊(テンセント)があり、数えきれないほどのバイオ製薬、基礎材料などの研究開発企業がここに立地していることによって、この新しい街に研究開発の優位性を与えている。これほどの優位性を持つ地域はほかになく、上海、北京も比較にならない。深圳が製造業、研究開発の面で中国のランクを引き上げており、中国経済の持続的な発展を支えている。

 比較すると、日本で深圳に匹敵する都市を探し出すのはかなり難しい。今年の日本を語るとすれば、人々は山口県に注目するかもしれない。

再び日本を変えられるか

 山口県とゆかりが深い一人として、筆者は、明治維新150年の今年、山口県に大きな期待を抱いている。

 山口県選出の国会議員安倍晋三氏は今、日本の首相だ。日本のメディアは、安倍首相が5年余りにわたって推進してきたアベノミクスは成功していないと論評しており、現在進行中の働き方改革が順調に推移するかどうか、安倍首相の評価にはもう少し観察の時間を要するかもしれない。

 明治維新150年の中で、1945年以前の日本は「脱亜入欧」の西洋化路線を歩み、周辺国に対して数十年にわたる侵略戦争を発動し、最終的には失敗に帰した。戦後、日本は米国化路線を歩み始め、政治的には米国と同盟関係を構築し、米国から導入された関連技術に依拠して工業を発展させ、米国と米国陣営が支配する国々に製品を輸出して、経済成長を遂げ、次第に経済大国に成長した。

 日本は一貫して「脱亜入欧」と米国化の路線を歩み、この他に全世界の経済成長のために東アジア国家を核心とする、皆で一緒に努力するという概念を打ち出さなかった。中国主導の「一帯一路(シルクロード経済ベルトと21世紀海上シルクロード)」構想に対して、最大限、条件付きの理解を示すだけで、より多くの場合、「自由で開かれたインド太平洋戦略」を推進し、中国を牽制している。筆者は安倍氏が郷里長州の「維新」精神をあらためて思い起こし、隣国と交流する道を歩んでほしいと願っている。

 深圳は今後も長期にわたって技術革新、製品革新によって中国の経済発展を推進していくだろうし、その中国に対する影響力は強まりこそすれ、弱まることはあり得ない。一方、山口は明治維新150年を迎える今年、この地から選出された政治家が新しい思潮を取り入れ、新しい行動で当面の国策を変えるべきではないだろうか。今年、人々の関心が深圳と山口に注がれているのは、もしかしたら以上のことと関係があるのかもしれない。

 

 

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