新型コロナウイルス禍の日々から 

2020-03-04 14:21:19

文=木村知義

中国では武漢、湖北省をはじめ全土で新型コロナウイルスとの懸命のたたかいが続けられている。「武漢封鎖」というこうした感染症対策ではかつて経験したことのない果敢な対策が断行された。当初は戸惑いや混乱も避けられなかったかもしれない。しかしその困難を乗り越えて徐々に落ち着きと効果が見えてきた。

しかし日本では感染拡大に歯止めがかからず、政府の「専門家会議」は「これから1-2週間が、急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となる」とした。メディアには「国難」「有事」といった言葉まで登場した。それだけに冷静に事態を見つめ、考えてみなければならないと思う。

ここでは、いまわれわれに問われる「利」と「理」と「情」(心のありよう)について考えてみたい。

 まず「利」である。

 「国境が点線となる」という表現があるが、人、モノ、カネ、そして情報が国境を越えて行き来するグローバル化の時代である。この移動こそが現代世界のダイナミズムを生み出していることを、いま改めて思い起こしてみなければならない。

海外からの訪日客(インバウンド)の中心であった中国からの旅行客が消えてホテルや旅館、土産物屋、東京のデパートに至るまで経済的な打撃は計り知れない。すでに関連した倒産まで起き始めている。あらためて現代世界における移動の意義を知るとともに、感染者の急増という事態のなかでもEUにおける移動の自由を維持するために踏みとどまるイタリアの姿を見ながら、われわれの意識と政策が試されていることを痛感する。

そして、移動と不可分の関係にある相互依存の現代世界という現実認識の重要性である。今回の新型ウイルス問題で中国からの部品供給が滞って日本、米国のみならず世界の製造業は苦境に陥った。武漢が製造業やハイテク産業の集積地域であったこともあるが、それ以上に中国を軸としたグローバルサプライチェーンが詰まってしまったのだった。

世界の相互依存関係は、もはやゼロサムゲームの成り立たない「運命共同体」であることを、理屈ではなく実体経済における体験を通して思い知ることになった。世界銀行、IMFともに、中国当局の迅速な対策を評価しつつも世界経済の減速、下振れ懸念を隠さない。すでに株式市場では「大幅下落」の連鎖も起きている。今回の新型ウイルス禍を前に、われわれは、世界の共通利益をどう守り、発展させるのかという命題とあらためて向き合うことになったと言える。

そこで「理」である。

この事態に排除と排外主義の思想、行動が這い入る余地はないはずだが、欧州では中国人のみならず「東洋人」(アジア)への排斥、差別の動きが浮上した。米国の歴史、哲学者、故エドワード・サイードがかつて「オリエンタリズム」として鋭く批判した西欧における東洋(アジア)への歪んだ「ものの見方」が依然として乗り越えられていないことを見せつけられたのである。こうした歪んだ中国観、アジア観は同じアジアに暮らすはずの日本においてもじわじわと醸し出され、あるいは公然と語られる状況がある。人間の「劣情」というべき排外思想、差別思想とのたたかいの重要性は増しこそすれおろそかにできないことを痛感する。あらためて、隣人である中国および中国人とどう生きるのか、その根底に求められる中国観が鋭く問われ、われわれが試されていることを身につまされて知らされる。

ではどうすればいいのか、解はどこにあるのか。

協力と支えあい、協働にしかない。難局に立ち向かう者として共に力を合わせ、知恵を結集してこの困難と問題に対してたたかう、その協働の行動にしか世界の共同利益を守る道はない。それゆえ、協働を可能にする信頼関係がなによりも大事になる。各国の利害が交錯し、自国中心主義で世界を制覇することを「グローバリズム」とするような発想も絶えないこの世界にあって、信頼関係の構築は容易ではない。しかし、今回の新型ウイルス禍からわれわれはまさに「人類運命共同体」の内実を築き、高めていくことこそが人類史的命題であることを学んでいるのだと思う。ここに「利」と「理」が強くつながることになる。

最後に、こうした「利」と「理」の根底に求められる「情」(心のありよう)の問題である。言葉を変えればわれわれの人間観であり、人への思いやりと想像力の深さである。

ウイルス感染が引き起こす病魔に倒れ命を失った人々のことを思うと言葉を失う。ただただ冥福を祈るばかりである。また、感染が集中的に広がる極限状態の中で悪戦苦闘しながら診療、医療に当たっている医師、医療スタッフの奮闘を思うと胸に迫るものがある。さらに、感染者、重篤者、死者が幾何級数的に増えていく緊迫した状況の中でも国家衛生健康委員会ハイレベル専門家グループ長の鐘南山氏をはじめ中国の医学、疫学専門家による調査、分析が並行しておこなわれ、随時、世界の医学雑誌などに情報提供されたことは特筆すべきことである。1月の早い段階で新型コロナウイルスの分離や遺伝子配列の解析がおこなわれ世界に開示、提供されたこととあわせて、各国の疫学、医療関係者の知見を深めることに大きく寄与し、その後の取り組みに重要な意義を持った。

もう一つ忘れてならないのは、医師をはじめ医療スタッフの精神的トラウマについてではないだろうか。医療スタッフの疲労困憊は筆舌に尽くしがたいものだろうと思う。そこには多くの人々の死を前にして命を救えなかった無念の思いに苛まれる医療関係者が数多くいるのではないかと想像する。いまはまだ目の前の命を救うことに追われる状態だろうが、少し落ち着きを取り戻したときに襲われる喪失感、精神的トラウマを思うと、「加油」(がんばれ)とはとても言えない胸の痛む思いが募る。苦しみと悲しみを共にしますという心の中の「語りかけ」をもって、「がんばれ」と言う言葉に代えたいと思う。

未体験のウイルス感染症という「恐怖」は私たちを不安に陥れる。その不安のなかで私自身を含め一人ひとりが、現代世界を生きる人間として、鋭く問われ、試されていることを身にしみて感じる。改めて、われわれの世界観と中国観が問われていること、さらに、人間存在への想像力が試され、他者への思いやりといった「情」においても、われわれが試されていることを痛感しながら、事態の一日も早い好転、終息を祈るばかりである。

困難と試練は人を強くし、思索を深くさせるという実感を日々強くしながら。

(2月28日記)

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