5周年迎えたPanda杯 北京・成都の旅

2019-02-02 13:03:36

賈秋雅=文 顧思騏=写真

 

中国外文局で開かれた表彰式で、受賞者たち(優秀賞8人、入選賞10人、佳作賞2人、団体賞1人)は陸彩栄副局長(後列右から7人目)からトロフィーを授与された(写真楊振生/人民中国)

 

2014年に第1回Panda杯全日本青年作文コンクールが行われたとき、中日関係はまだ冷え込んでいたが、中日友好を望む日本の若者たちの熱意は冷めなかった。5年間で本コンクールの参加者と受賞訪中者の数が年々増加したことがその熱意の裏付けだ。Panda杯5周年に当たる昨年、両国の指導者が中日関係が正しい軌道に戻るよう推し進め、各分野の民間交流はますます活発になり、第5回を迎えたPanda杯も、投稿数が最高の624点を数え、過去最多の21人の受賞者を中国訪問に招待した。

昨年1116日から22日、第5回Panda杯受賞者訪中団は北京と成都を訪れた。ここに、収穫に満ちた1週間の中国研修旅行を紹介するとともに、5周年を迎えたPanda杯が日本の若者の対中認識に果たした役割も振り返ってみたい。

 

「透明の壁」を突破する

大学生の田中歩佳さんは昨年の受賞作品で、「透明の壁」という言葉を使って日本の若者が中国に出会った時の戸惑いを表し、次のような文章を書いた。「意識やきっかけがなければ、本当の真実は何も見えてこないのだ。それはつまり、『透明(メディア)の壁』が立っているにすぎない。向こうが見えているかのように見えて、手を伸ばせば壁があって触れることができなくなっている。意識しなければ、壁の存在にすら気付かない」

 

駐日本中国大使館で、程永華大使から優秀賞の賞状を授与される後藤翔さん(写真・呉文欽/人民中国)

 

駐日本中国大使館で、大島美恵子会長から優秀賞の賞状を授与される中塚咲希さん(写真・呉文欽/人民中国)

5年間、多くの応募者の作品から同じような困惑が伝わってきて、日本の若者が中国を認識する際の共通の戸惑いが分かってきた。Panda杯参加以前の対中認識について、東京学芸大学の小嶋心さん(20)は次のように述べた。「中国をどちらかというと嫌いな国というか、安全がちゃんと保証されていないという不安なイメージが強かった」。一橋大学院生の中島大地さん(26)は、「不安」以上に「無関心」が中国を知る上で最大の障害になっていると考え、次のように述べた。「無関心が最大の問題で、日本の若者のほとんどが中国のことを知らないし、理解していない」

Panda杯受賞者を中国旅行に招待するのは、このような中国に対する「不安」を解消し、「関心」を抱くきっかけをつくり、実体験を通して、発展や変化を遂げる中国の本当の姿を全面的に知ってもらうためだ。中国外文局(中国国際出版集団)の陸彩栄副局長は、北京で開かれた表彰式で「雨垂れ石をうがつ」ということわざでPanda杯の意義を評価し、次のように述べた。「微力だが、努力を重ねていけば、必ず大きな成果を収めることができる。5年間努力し、これからも続けていくPanda杯は、石をうがち、滴り続ける水滴のように、いつの日かその『透明の壁』を突き破り、両国の若者の交流と理解の扉を開けることができる」

 

交流に理由はいらない

 日本の若者の中国に対する「関心」を呼び起こし、交流への第一歩を踏み出させるにはどうすべきか。受賞者であるフリーライターの大森貴久さん(30)は次のように考える。「中国に関心を持ったきっかけを思い出せない。子どもの頃に、近所の友達と遊ぶのに理由なんてなかったのと同じで、日本の隣国である中国に関心を持つことに理由なんていらない。中国を、常に隣にいる存在として付き合っていくことが大事だ」

 訪中した日本の若者に、同年代の中国の若者と交流する場を提供することは、Panda杯訪中研修旅行の特徴だ。日本の若者の訪中前、人民中国雑誌社は中日青年交流に参加する中国人ボランティアの募集を行ったが、わずか10人の枠に300人近くの応募が殺到した。中国の若者も、日本の若者に劣らない交流の意欲を持っている。北京外国語大学で日本語を専攻する1年生の崔鯤さん(19)は次のように述べた。「この機会に日本語を勉強し、日本の若者の中国に対する考え方も知りたい」。崔さんを含む中国のボランティアは訪中団のために、早くから古都の歴史巡り、胡同巡り、歴代王朝とゆかりのある公園巡りの三つの見学交流ルートを計画した。訪中団到着の翌日、両国の若者は三つのグループに分かれ、晴れた冬日に、皇帝が住んだ故宮や天壇公園を見学し、路地や横町を散歩し、北京の情緒を満喫した。

 

書道専攻の小嶋心さん(右から3人目)が地面に「世界平和」と書くと、おじいさんは喜んで「北京地壇公園へようこそ」というメッセージを返した

湯気が立つ羊肉の火鍋を囲み、両国の若者は1日の短い思い出を振り返った。創価大学2年生の玉川直美さん(19)はほほ笑みながら次のように述べた。「同年代の中国の若者と交流ができて、本当に良かった。みんな日本語がぺらぺらで、とても優しくて、すぐ友達になれた」。漫画や音楽などのポップカルチャーから、それぞれの学業の悩みや恋愛話まで、若者たちはさまざまなテーマで語り合った。初めて日本を離れた高校生の種田涼音さん(18)は次のように述べた。「面と向かった交流により、国籍の違いは障害にならないことが分かった。両国の若者の趣味と悩みに共通点が多かった」。まさに大森さんが考えたように、交流に理由は不要で、交流の第一歩を踏み出すことこそが大事なのだ。

 

日本人より日本を知る中国人学生

日本側の主催者代表である日本科学協会の大島美恵子会長は、日本出発前の訪中団に、今回の訪中研修で設けた同協会主催の青年交流イベントを説明した。それは、昨年1118日に北京大学で開催された「笹川杯全国大学日本知識大会2018」の決勝戦だ。大島会長は次のように述べた。「この日本知識大会は、中国の100以上ある大学から約330人の日本語学部の学生たちが一堂に会す、中国でも類を見ない大規模な大会。ぜひこのチャンスに、同世代の若者と大いに語り合い、友好の輪を広め、お互いに刺激になることを期待している」

予想通り、今回の訪中で深く印象に残ったことは何かと聞かれると、多くの団員が異口同音に、この大会のことを挙げた。大会では、日本に関連する歴史と文化、政治と経済、文学と芸術、音楽とスポーツなどのジャンルをカバーした問題が出題された。その範囲の広さ、問題の難易度には、大会の審査員を務めた朝日新聞の西村大輔記者も全て正解することができなかったほどだ。会場にいた日本女子大学の横山由果さん(20)は次のように述べた。「どの問題も想像以上に難しく、中国の学生たちが問題を正解するたびに尊敬するとともに、日本人なのに答えられず恥ずかしくなっていった」。長崎県立大学の森井宏典さん(20)も同感し、こう述べた。「正直、自分が日本人であることが恥ずかしくなるほど、中国の大学生の方が日本をよく理解し、勉強してくれている」。訪中団を率いる日本科学協会理事の川口春馬団長(74)は「中国の大学生の日本に対する豊富な知識には驚いた。日本の若者たちも相手に負けない勇気と努力をもって、中国への理解を増やし、中国人との交流を深める意欲に燃えるよう頑張ってほしい」と団員たちを励ました。

 

日本知識大会の難問に苦笑いする受賞者たち

若者が自発的に交流する意欲のほか、現在改善を続ける中日関係も両国の青年交流を深める絶好のチャンスを与えた。訪中前日、駐日本中国大使館で行われた表彰式で、程永華大使は次のように述べた。「両国政府は2019年を『中日青少年交流促進年』とすることを定めた。これをきっかけに、両国の若者たちは自分の目で理解を深め、自分の身で交流と友情を深め、両国の友好関係のさらなる強化に貢献してほしい」

 

 

「天府の国」 パンダとの出会い

 Panda杯5周年の特別企画として、訪中の後半に日本の若者は、古来より豊かな土壌と恵まれた自然があることで「天府の国」とたたえられ、『三国志』の蜀があった成都へ赴き、パンダを間近で見学し、四川省の多彩な文化と出会った。

 

成都パンダ繁殖研究基地でパンダを見ている受賞者たち

横浜市立大学の山本蘭さん(21)は、成都出発前にパンダとの出会いを期待して、次のように述べた。「私は蘭という名前で、初めて日本に来たパンダの名前も蘭蘭(ランラン)なので、パンダにとても親しみがあるが、実際には見たことがないので楽しみにしている」。成都到着後の最初の訪問地は、世界最大規模のジャイアントパンダ繁殖研究拠点だ。竹林が青々と茂っているこの場所では、100頭以上のパンダを育てている。気だるそうに木の幹で仮眠しているパンダは今にも落ちてしまいそうな様子だ。食事に集中しているパンダは、竹の硬い皮を器用に剥ぎ、大きく口を開けておいしそうに食べている。コロコロとしたパンダの赤ん坊は竹のラックから滑り落ちそうになるが、ふわふわした爪でラックをつかみ、懸命に登っている。山本さんは「あ~かわいい~」と喜びながら携帯電話で写真を撮った。「忙しいときとか、ちょっと疲れたときに見て、癒やされたいと思う」

訪中団の中には、黒縁眼鏡、白い上着、黒いズボン、白い靴下、黒い靴の「パンダ服」でコーディネートした男の子もいれば、土産物売り場でさまざまなパンダグッズに目を奪われて何を買うか迷う女の子もいた。川口団長までもパンダに見とれて、「上野公園の香香(シャンシャン)を見るために予約の申し込みをしたことがあったが、なかなか予約できず、結局見学できなかった。ここでこんなにたくさんのかわいいパンダと出会えて大満足だ」とほほ笑みながらうれしそうに話した。

日本の若者を魅了したのはかわいいパンダだけではない。成都には悠久の歴史を持つ四川の文化もある。父親が『三国志』の大ファンだという大森さんは、諸葛亮を祭る武侯祠を見学したことで幼い頃の記憶がよみがえり、帰国後に『三国志』の本を再び読むと語った。中国文学を専攻している中島さんは、杜甫草堂で『春望』の一節「国破れて山河あり」を暗唱しながら、教科書で学んだ杜甫の詩句に感銘し、「国と民族に深い愛を抱いた中国の文人に感服する」と話した。一行は金沙遺跡博物館で、同館随一の宝物といわれる直径わずか125、重さ20しかない黄金の装飾品「太陽神鳥」を鑑賞。展示されているガラス柱を囲み、じっと見つめながら、独特で神秘的な蜀の古代文明に魅了されていた。

 

「太陽神鳥」の像の下で、パンダのぬいぐるみを持つ訪中団一行(写真・任川)

成都の独特な歴史と文化のほか、日本の若者たちは、悠然として快適な生活を送る成都の人々にも興味津々だった。朝の望江楼公園で、竹林を背景に市民がそれぞれグループに分かれて太極拳を練習している。朝霧が残る仙境のような場所で体を動かす彼らを見て、誰かが「映画『グリーンデスティニー』の中にいるようだ」とつぶやいた。竹林を出ると、伊藤忠商事の宮地大輝さん(28)は公園でお茶を飲んでいるおじいさんに話し掛けた。おじいさんがマージャン仲間を待っていることを知った宮地さんは、川口団長や他の団員と一緒にマージャン牌を並べゲームをする仕草を演じた。清朝の時代から残る観光名所として知られる寛窄巷子では、熊本大学の後藤翔さん(21)が勇気を出して成都スタイルの耳掃除に挑戦した。「最初はちょっと怖い、痛いかなと思ったが、全然緊張することもなく、気持ち良かった」と話し、成都の人々ののんびりとした生活をうらやましく思った。レストランでおかわりされる麻婆豆腐、辛いのに箸が止まらない四川風の火鍋、長袖が舞う中で自在に変化する川劇の変面……「本当に楽しい」「成都で暮らしたい」という気持ちは、初めて成都を訪れた若者たちの共通の声となった。

 

「善意」で多くの美しい出会いを

最初は初対面で緊張していた団員たちは、この訪中研修で仲間になり、1週間という短い時間はあっという間に過ぎた。彼らは中国に興味を持つ者同士で互いに尊重し合う友人となった。北京と成都の街角で中国の若者と交流し、彼らは中国と中国人に対する認識と理解を深めることができた。2016年にも研修旅行に参加し、今回はその訪中感想文で優秀賞に選ばれ、中国を再訪した後藤さんは次のように述べた。「1回目、2回目どちらもそうだが、中国に行くと言ったときに、周りの反応はちょっと良いものではなかった。でも、こういうところに行って、みんなすごく優しかったし、気さくに話し掛けてくれた、ということをしっかり伝えて、そういう反応を少しずつ減らしていきたいと思う。まだ知らない人にしっかり伝えていかなければならないという意識が芽生えた」

人民中国雑誌社の陳文戈社長は、若者たちが成都に出発する前に北京で次のような期待を語った。「研修旅行から得た感動が中国の美しい思い出になり、その美しい思い出をさらに多くの日本の友人に共有してもらいたい」。その言葉通り、われわれは5周年を迎えたPanda杯を記念するため、5年間の優秀作品と訪中の感想を中日2カ国語で収録した記念文集を年内に出版する予定だ。これらの文章と感想を読むと、中国や中国人と付き合ったエピソードはそれぞれ異なるが、共通点も分かってきた。それは、彼らが「善意」のまなざしで中国を優しく観察していることだ。日本女子大学の日暮美音さん(20)は、研修旅行中に感じた中国からの「善意」に対して、「私も自分なりの善意を中国にお返しし、これからも中国のことを熱心に学び、知識を身に付けたい」と話した。善意のまなざしで見ることで善意のお返しをもらい、さらにより多くの善意の付き合いを生み出す。このような善意の循環によって、日本の若者たちは中国に関するより多くの美しい思い出を得るだろう。

 

関連文章
日中辞典: