経済顧問となった2人の日本人

2024-02-04 11:01:00

張雲方=文写真提供 

西側の専門家を中国国務院の経済顧問に招くというアイデアは、谷牧副総理に始まる。政治的混乱の「文化大革命」を主導した「四人組」の打倒後、中国はどこへ向かうのか――これは中国が直面する疑いの余地のない歴史的な重大問題となった。ドアを閉じた鎖国状態というこれまでのやり方はもう通じない。中国ははっきりとした方向、すなわち改革開放を必要としていた。 

谷副総理は、華国鋒主席と鄧小平副総理に対し、外国の発展した先進的な経験を手本として、なるべく遠回りしないためには、外国人を中国の経済顧問に招くのが良い方法だと進言した。谷副総理の意見は党中央の了承を得て、これはまた、鄧副総理が中日平和友好条約の批准書の交換式での訪日を利用し日本経済を視察することを決めた発端ともなった。 

西側の専門家を国務院の経済顧問に招く――これは中華人民共和国の歴史上初めてのことで、画期的な壮挙だった。 

何度も考え練り直された末、1978年の暮れ、3人の人物が国務院の経済顧問に選ばれた。日本の大来(おおきた)佐武郎(さぶろう)氏と向坂(さきさか)正男(まさお)氏、それに当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)のグトウスキー氏だ。前の2人は、戦後日本の経済発展計画の立案に直接関わった人で、ドイツ人のグトウスキー氏は5人で構成される西ドイツ最高顧問委員会の一人だった。 

79年1月25日、大来氏は午前8時30分に大平正芳首相と朝食を共にし、午後2時30分に符浩駐日本中国大使と面会、午後6時には自民党の中曽根康弘幹事長主催の壮行会に招かれた(役職名は全て当時)。こうして大来氏の訪中前の準備活動は全て整った。 

26日午前1010分、中国政府から正式に国務院の経済顧問として招聘された大来佐武郎氏と向坂正男氏は、中国社会科学院の胡喬木院長の同行の下、羽田空港発の全日空783便で中国へと飛び立った。私は空港で一行を見送った。 

谷牧副総理の招きで雲南地方の視察に訪れた大来佐武郎氏(左)と筆者(1986年7月、昆明市の石林イ族自治県で)

その年は1月28日が中国最大の伝統的な祝日の春節(旧正月)だった。中国政府の高官たちは春節の休暇中でも両氏の集中講演に参加した。27日から31日まで(初日の28日を除き)、大来氏は4回の講演を行った。2回は釣魚台国賓館の芳菲苑で中国の政府高官だけを前に。1回は谷副総理との一対一での質疑応答。講演は政府内に大きな反響を巻き起こした。関係部門の求めに応じ、大来氏は友誼賓館の科学技術会堂で、中央政府の局長クラスの幹部と経済部門の関係者に対して1度講演を行った。 

大来氏と向坂氏が釣魚台国賓館で行った講演は、「戦後日本の経済発展の経験と中国の発展」と「エネルギーと経済構造」、そして「資金の問題」だった。谷副総理は自ら会議を主宰し、国務院の主な部(日本の省庁)委員会の責任者のほとんどが参加した。これは、改革開放の開始後、中国の経済部門の指導層が初めて体系的に聴いた外国の経済発展の講演だった。これは「革故鼎新」(古きを改め新しきを行う)の入門授業であり、中国の政府役人の思想解放を大きく推し進める役割を果たしたといえよう。 

大来氏は次のように説明した。中国の現在の人口は約9億人で、これは日本の7倍強だ。また1人当たりの国民所得は410で、これは日本の12分の1である。つまり現在の中国は、日本の戦後復興期の1950年のレベルに相当するといえる。では、第2次世界大戦後の日本はどのようにして復興し始めたのか。そこで大来氏は以下の4点を挙げた。第1に、まず農地改革や財閥解体、農業労働組合の発展促進など各種の改革を行った。第2に、質量共に労働力を向上させた。第3に、現実的に実行可能な政策を実施し、産業構造の改革を重点的に推し進め、海外の先進技術を導入し、輸出を奨励し、官民挙げての協調体制を実行した。最後の4番目として、世界的なチャンスを捉えて輸出を拡大し、資金を蓄積し、国内の産業構造の調整を行った。 

大来氏が特に強調したのは▽経済の好循環▽十分な労働力と先進技術、改革開放の連続性の維持▽世界との連動▽輸出入の拡大▽経済に重点を置いた政策の採用と人材育成などだ。 

大来氏らは、中国の経済発展十カ年計画(1976~85)は、経済発展の目標を主に人々の生活改善面について設定すべきだとした。また、人々の改革開放に対する高い認知度や支持、社会の安定を維持すべきだと考えた。当時、中国の十カ年計画は重工業を重点政策としていたが、人口の64%は農民だった。その当時の中国の「三種の神器」は自転車ミシン腕時計で、市場は発展への大きな潜在力を秘めていた。 

大来氏らの分析を聞き、中国は十カ年計画を修正する際、以下の3点を加えた。①投資と貯蓄のバランスを重視する②計画の圧縮と、政府系建物の建設見直しと外資依存の問題の圧縮を重視する③投資効果の向上など重要な内容を重視する。 

大来氏と向坂氏は、同じ年の10月にも中国の招きを受け再び訪中した。このときは、中国経済の視察、経済発展の経験についての講義、中国経済発展のアイデア提示という三つを合わせたものだった。2週間の中国滞在中、両氏は、北京と上海、杭州などの自動車や機械製造業、紡績工場など代表的な産業を重点的に視察した。北京に戻った両氏は、谷副総理をはじめとする中国経済を担当する高官に対し、「経済構造の近代化はどのような原則の下で推進すべきか」と題する講演を行った。 

大来氏は、「中国経済は依然として国内自律型計画経済型分配重視型の三つの型にあるが、国際分業型市場経済型資本蓄積型に向かう必要がある」と述べた。大来氏は、中国経済の急速な発展を望むなら、混合経済システムの実施が必要だと明確に示し、計画経済の中で市場経済を構築することを提案した。 

また大来氏は次の5点について述べた。経済発展の根本は生産力の発展であり、生産がなければ消費は語れない。生産を拡大し生産性を高めるには、まず生産体制を改善する必要がある。次に海外の先進技術を導入し、統計と計画の方法を改善する。第3に、社会資本を充実させる。第4に、基礎教育専門教育職業訓練の強化などによって生産力の質を高める。第5に、原材料資金労働力市場などの科学的な企業管理を強化する。 

大来氏はさらに、生産力向上の前提は経済のバランスの取れた発展だと説明した。具体的には、次の五つのバランスを指摘した。①貯蓄と投資のバランス②労働力配置の合理的なバランス③外資のバランス④産業間のバランス⑤国内の地域間バランス。 

最後に大来氏は、経済構造の近代化は生産力の向上と国民所得の拡大の基本点であり、同時に、雇用と分配における公平の堅持は重要な原則であると述べた。 

  

張雲方 

Zhang Yunfang 

1943年生まれ。国務院発展研究センター研究員。人民日報国際部編集者記者、人民日報東京特派員(197580年)、国務院発展研究センター弁公庁副主任外事局責任者、国務院中日経済知識交流会事務長、中国徐福会会長、中華全国日本経済学会副会長、中国中日関係史学会副会長、中国徐福国際交流協会顧問、中日陝西協力会顧問などを歴任。 

 

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