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比田井絵里 趣味の世界で中国にどっぷり

私が中国と出会ったきっかけは、朝日新聞に連載された山田風太郎さんの『八犬伝』。八犬伝のモデルとなった『水滸伝』の日本語訳を読んでからは中国歴史小説ばかりを読むようになりました。さらには、「いつか中国に、できれば旅行会話ぐらいできるようになって行きたい!」と思い、中学3年生の時からテレビの中国語会話で勉強し始めました。

一方で、大学で始め、滑るのも観戦するのも好きなのがフィギュアスケートです。1994年に幕張で行われた世界選手権の際、客席で仲間の応援をしていた中国の女子シングル選手の劉穎に片言で話しかけて仲良くなり、文通を開始。次に彼女に会う時にはもっと話せるようになりたくて、社会人になってから夜に語学専門学校に通い始めました。そしていつの間にか武侠小説や香港・台湾ドラマや中華圏のポップスにはまり、眼も耳も中国語漬けで楽しく勉強(?)しながら、毎年一度は自分で手配して中国へ旅行に行くようになりました。

99年2月には、引退後ハルビンでコーチをしている劉穎を訪ね、いっしょに「冰灯」(氷祭り)を見たり、滑ったりしました。黒竜江省氷上競技訓練センターの彼女の部屋に泊めてもらいましたが、シャワーのお湯は一日に2回、20分ずつしか出ないので、その時間になると大勢で並んでいっせいに浴び、まだ生ぬるいお湯が出るうちにたらいで洗濯したのも懐かしい思い出です。

「遠くからわざわざ訪ねてきた日本人」ということで、同じ階の選手たちから日本のことについて質問攻めにあい、逆に中国のことを聞くだけの語学力が当時まだなかったのが少し心残りでしたが、みんな非常に良くしてくれました。

また、劉穎と友達になったのをきっかけに、国際大会のために来日した中国フィギュア選手の友達が増え、彼らの観光ガイド役を買って出ることもしばしば。後に世界選手権で3度優勝する申雪・趙宏博ペアとは、98年の長野オリンピックの際にいっしょに長野市内を観光。女子シングルやアイスダンスの選手とも金閣寺に行ったりしました。また、2003年から中国で開催される国際大会を毎年観戦に行って、中国選手たちの応援をしたり、現地のスケートファンと交流を深めたりしています。

ほかにも、武侠小説好きから始めた太極拳で中国の老師(先生)の通訳を務めたり、週末に在日中国人たちと卓球交流したりと、旅行以外でもときどき中国語を使う機会はあるのですが、仕事では使う機会が皆無なのが非常に残念です。

15年以上、中国と趣味の世界で関わってきましたが、その間、日中関係が悪かった時期に中国へ遊びに行って中国人と交流しても一度も嫌な思いをしたことがなく、楽しい記憶ばかりです。近い将来、中国語を活かして何らかの形で日中友好の役に立ち、そんな中国に恩返しができればと思っています。

プロフィール

東京大学大学院理学系研究科(化学専攻)修了後、メーカーに勤務し、現在はIR業務を担当。仕事とは全く関係なく中国語を学び、留学経験はないが、HSKは10級。通訳ガイド試験、翻訳実務検定(TQE)3級合格。趣味はフィギュアスケート、太極拳、卓球、中国旅行、写真など。

おすすめスポット
 08年8月に本店と分店と合わせて3泊した武陵源(張家界)の武陵源景区内の家庭旅館「兄弟之家」。食事も素朴で美味しい。とくに天子山の分店はゆっくりくつろげる環境です。陳老板(オーナー)と奥さんはとても親切で、行きたいスポットまでの丁寧な地図を書いてくれた上、途中まで道案内してくれたり、最後は遠くまで送ってくれたりと、大変お世話になりました。
 

人民中国インターネット版 2008年12月

 

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