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心に残る三度の出会い

 

2008年8月10日、北海公園にて。胸元に付けているのは、北京オリンピックのボランティアからもらったオリンピック記念シール

山本博子

1975年、千葉県生まれ。2004年、お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了(人文科学博士号取得)。大学・大学院時代は、平安時代の日本語の時間表現についての研究に励む。現在、大学・短期大学・日本語学校で教鞭を執る。

1994年8月

私が初めて中国を訪れたのは、1994年の夏のことである。大学1年生だった私は、北京対外経済貿易大学での1ヵ月間の語学研修に参加したのだ。

その当時は、時おり大学の前の道を荷馬車が通った。その悠々とした馬の歩みは、中国の広大さ、歴史の深さ、人々の力強さを物語っているようであった。

大学の先生方は、明るく優しい方たちばかりだった。中国語がわからなくて不安そうな顔をしている私たちに、先生がいつも笑顔で言ってくださった「没問題、没問題!」(気にしなくていいのよ)という言葉は、中国人のおおらかな人柄を象徴しているように思え、私の大好きな言葉となった。 2000年8月

それから6年後の夏、祖父・祖母とともに北京を旅行する機会を得た。祖父は、千葉県私立学校友好訪中団の1人として、1980年と1987年に中国を訪れていた。1994年以降、何度か北京を訪れている私でも、次々に新しい高層ビルが建ち、車の量が増えていく北京の変化には驚かされていたので、祖父にはなおさらのことであった。高速道路を通った際も、王府井を歩いた際も、「全く別の国に来たようだ……」と感嘆の声をあげていた。

2008年8月

2008年8月8日、私は北京にいた。北京がオリンピック開催地に決まって以来、オリンピック開幕を中国の人々とともに北京で迎えたいと願っていた。

開会式のテレビ中継を、中国人の友人の家で、水餃子や蝦などのおいしい料理をいただきながら観た。友人の家は高層マンションにあるため、窓から会場の「鳥の巣」で打ち上げられている花火を眺めることもできた。

この夜のことを、私は一生忘れないであろう。

日本へ帰る8月12日の北京空港で,私は、荷物検査をした場所に小さなバッグを置き忘れてしまった。搭乗口付近でそのことに気づき、空港の服務員さんに泣きそうになりながら事情を説明した。

自分の中国語ではうまく通じないのではないかと、諦めそうになった私に、その服務員さんは「大丈夫、話してごらん」と誠実に耳を傾けて、そして、忘れ物が届けられている場所まで連れて行ってくれた。

バッグは無事、保管されていた。バッグが私の手元に戻ってくるまでの間、彼が何度も言ってくれた「別着急、別着急!」(焦らなくて大丈夫だよ)という言葉は、15年前に先生から言われた「没問題!」と同じように、私の心を落ち着かせてくれる力強く、温かい言葉であった。

そして、今

現在、私は千葉県にある日本語学校で非常勤講師として働いている。この学校には、中国人の学生が数多くいる。彼らは、自分の出身地や「春節」などについて、目を輝かせながら語ってくれる。15年前、北京に滞在していた私は、こんなにも嬉しそうに自分の国について語っていただろうか。中国の若者の快活さ力強さは、この自分の国を愛する心に支えられているのだと感じる。

中国の若者たちが安心して日本で過ごせるよう、微力ながらお手伝いしていきたいと思う。私が中国の人々から与えられた優しさや明るさへの感謝の気持ちを、このようなかたちで示していければ幸せである。(文=山本博子)

 

おすすめスポット

紫竹院公園

北京の西、海淀区にある公園。竹や多くの木々に囲まれた自然空間は、ゆったりとした優しい雰囲気を持つ。休日には老若男女が、歌を歌ったりダンスのレッスンをしたり運動をしたりと、思い思いに過ごしている。

 

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