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大切なものを忘れていた私

細川 裕子

中国人民大学大学院法学院で知的財産学を専攻。2007年9月に国費留学生として中国に来た。同校修士課程に進学、2009年9月より博士後期課程に進学。福井県出身で、魯迅の恩師である藤野厳九郎先生と同郷。趣味は京劇観賞。写真は2009年7月、中国人民大学の卒業式で、クラスメートと記念撮影した筆者(中央)

私はいま、日本と中国両国の愛情の中で生きています。それをかみしめて毎日、中国での人生を謳歌しています。

朝6時すぎから図書館に並ぶ学生の姿、学問に対するひたむきな姿勢、学友同士助けあい、高めあう関係。このような学風の下、国費で好きな勉強をさせていただき、家族も応援してくれ、先生や友人にも恵まれ、毎日が本当に幸せです。

私が中国に来て学んだこと、それは「人が一番の財産」ということです。

魯迅の作品『藤野先生』(竹内好訳)には、師に対する思いがこう記されています。

「彼の私にたいする熱心な希望と、倦まぬ教訓とは、小にしては中国のためであり、中国に新しい医学の生まれることを希望することである。大にしては学術のためであり、新しい医学の中国へ伝わることを希望することである」

あの時代にあって国家や民族、文化を超えて学問を伝えたいという一念が通じ、「師弟愛」という深い絆で結ばれたのではないでしょうか。

時代を超えていまもなお、その心は生き続けています。私の指導教官である劉春田教授も時間や労苦を惜しむことなく、時に厳しく、時に優しく、指導して下さいます。

お恥ずかしい話ですが、先日私は、先生の授業に15分、遅刻してしまい、「一時間外で立っていなさい」とお叱りを受けました。しかし先生は、そうは言ったものの許してくださり、普段通り授業を受けることができました。時間や学問、人に対してもなおざりであった私を、本当に思っているからこそ叱責されたのだと、非常にありがたく思っています。

中国の友人からは、人として大切なことを多く学びました。

昨年、私の叔父が日本から来た時の話です。友人の学生が、ぜひご挨拶をしたいと言うので、私と叔父二人でその友人の学生寮に行きました。すると、スーツを着て待っているのです。友人はこう言いました。「いま私は学生で、お金もないので、何もご馳走できません。いまの自分が精一杯できるおもてなしは、正装をしてお迎えすることです」と。

「人を敬い、礼をつくす」。人として一番大切なものを忘れていた自分に気付かされ、反省するとともに非常に感激させられました。孔子の教えは今もなお生き続けているのだと痛感しました。中国の人たちは、私が忘れかけていた大切なものを、言葉で、行動で、背中で教えてくれました。

日本と中国は昔から、「愛」「仁」「礼」などを脈々と受け継ぎ、それが今も生き続けています。私たちはそれを後世にまで伝えてゆく必要があるのではないでしょうか。 

おすすめスポット

日本人公墓

ハルビン市より東へ200キロに位置する方正県にある中国で唯一の日本人公墓。約5000人の日本人が祀られています。戦争の傷が癒えていない1963年、日中国交回復の10年ほど前に、周恩来総理が建立を許可され、今も守り継がれています。

 

人民中国インターネット版 2010年2月20日

 

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