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中国の力も借りた復興計画の策定を

 

今から16年前、阪神・淡路大震災が発生しました。当時、筆者は大連に駐在しており、TV画面に映し出された惨状を今でもはっきりと覚えています。今年3月、未曾有の大地震が東日本を襲いました。この時、筆者は東京の職場でこれまで経験したことのない大きな揺れを感じ、驚愕しました。

この二つの大地震は、地震国日本で発生したという共通点はありますが、時も場所も、そして状況も大きく異なっています。

筆者は、この二つの大地震に関連して、中国との関係を大いに意識したプロジェクトに関係しています。

「阪神・淡路」後に提言

1995年1月の阪神・淡路大震災の発生から1カ月後、阪神・淡路復興委員会が設置されましたが、同委員会から「復興特定事業」の一つとして提言されたのが「上海・長江交易促進プロジェクト」でした。

○提言内容

長江デルタ経済圏を阪神経済圏と結び日中経済交流を促進する。

神戸港に河川専用船直接交易推進港区を設置し、背後に中国人街を整備する。

専用船開発作業のため、日中共同でフィージビリティ調査の実施、計画の策定を行う。

年内(1995年内)に日中双方が上海市で代表者会議を開き共同作業の第一歩とすること。

本プロジェクトの背景には、神戸地区と長江デルタ地域は、交流の歴史が長いということもありますが、同時に、中国経済の国際化が進展しており、この流れを受け止めつつ復興に結びつけ、長江デルタ経済圏と阪神経済圏の相互交流を発展させて行こうという発想がありました。このプロジェクトの中心テーマが、「新たな中国人街(ビジネス中華街)」の形成でした。

新たな中国人街を模索

その具体化のために、1999年12月、「新たな中国人街形成促進研究会」が設立され、筆者はその一員となりました。

新たな中国人街とは、今ある飲食、物販を主とする集客・観光型の中華街(南京街)に対し、「ビジネスの街」をキーワードに「中国・アジアビジネスを積極的に展開する国内外の創造的企業が集積する街」を目標としました。その実践現場となったのが、「神戸起業ゾーン」として、進出企業に対する震災特例の補助、融資等優遇措置を適用した「ポートアイランド」を中心としたエリアでした。

中国は同研究会設立からちょうど2年後に、世界貿易機関(WTO)に加盟しますが、「新たな中国人街」はWTO加盟後の中国経済の国際化の波を先取りし、「海外進出を図る優秀な中国企業の受け皿」となり、また、当時増加傾向にあった中国、アジア各国の留学生およびOBに起業の場として機能することが期待されました。

大震災の後遺症を克服するため、神戸市は中国との新たな協力関係を構築し、上海万博のテーマでもあった「より良い都市、より良い生活」づくりを実践しようとしていたといえます。

阪神・淡路大震災後、目覚ましい復興を遂げた神戸市内(新華社)

中国企業の進出を歓迎

中国企業の海外進出と中華街という点で、神戸の試みに似たプロジェクトが、今から10年ほど前に、今回の大地震で甚大な被害を蒙った宮城県名取市で実施されようとしたことがありました。

1996年、宮城県は仙台空港周辺地区を開発するため、「仙台空港臨空都市整備計画」を策定しましたが、その臨空都市に「仙台中華街」を建設する構想が打ち出されました。この構想が具体化しつつあった2003年当時、筆者は北京にいましたが、この構想には当初から関わっていました。なぜなら、地元経済の活性化に中国の対日投資を結びつけたユニークなもので、今後対日投資を検討している他の中国企業に対しても、モデルケースになると期待したからでした。2003年11月、国家統計局主催の「中国経済成長フォーラム」(江蘇省蘇州市)で、本プロジェクトに関する説明会を開きましたが、温州市の企業家グループから大きな関心が寄せられました。

「仙台中華街」と書かれた本プロジェクト紹介用パンフレットの「ごあいさつ」では、当時の宮城県議会議長が、「(前略)海外からの投資と企業進出をはかり(中略)この計画に則り中国企業の進出による仙台中華街の建設が計画されたことはまことに喜ばしいことと考えます」とのメッセージを寄せています。

この「名取市プロジェクト」は、その後、名取市を離れ、2004年7月に新たな「仙台空中中華街構想」(仙台市内)に引き継がれますが、紆余曲折を経て実現に至りませんでした。

日本では、震災の復興や地方経済活性化に中国の力(チャイナパワー)を借りたり、日中双方が協力を念頭に置いたプロジェクトが実施されてきた経緯があります。阪神・淡路大震災の復興計画と仙台中華街の建設構想の背景には、中国企業の対日進出への対応という視点がありました。今日、その対日進出の流れは、当時と比較にならないほど速くかつ拡大しています。

参考になる過去の構想

未曾有の地震に襲われた東日本大震災の被災地復興においても、復興委員会が組織され、本格的な復興への道標が提示されていくことでしょう。被災地のより良い地域社会づくりは、まさに始まろうとしているわけですが、その過程で、これまで同様、海外から多くの支援や協力を得ていくことになるでしょう。その際、阪神・淡路大震災の復興における中国との新しい協力関係の構築が、そして、名取市や仙台の地域活性化のための「名取市プロジェクト」や「仙台空中中華街構想」の事例が復興へのヒントになることを期待したいと思います。

注 (財)阪神・淡路大震災記念協会が発行した阪神・淡路大震災十周年記念出版『翔ベフェニックス 創造的復興への群像』および仙台中華街紹介パンフレット(日本・仙台中華街誘致管理準備委員会編)を参考とした。

 

(財)国際貿易投資研究所(ITI) チーフエコノミスト 江原規由

1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市旅順名誉市民を授与される。ジェトロ北京センター所長、海外調査部主任調査研究員。2010年上海万博日本館館長をを務めた。

 

人民中国インターネット版 2011年7月

 

 

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