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金沙遺跡 古代人の宇宙観示す黄金製の「太陽神鳥」

丘桓興=文 魯忠民=写真

王毅・成都博物院院長
2001年2月、四川省の省都・成都市の金沙村で3000年前の金器、銅器、玉器、石器、漆塗り木器と1㌧近い象牙が出土し、四川省では三星堆遺跡に続いてまた国内外を震撼させる考古学的な大発見だった。

2007年、金沙遺跡の上に庭園風の金沙遺跡博物館が建てられた。このほど、われわれは現地に赴き、当時の発掘状況を思い浮かべ、貴重な文物を鑑賞した後、金沙の文物の価値や特徴、三星堆文化との対比について、成都博物院院長・成都市文物考古作業隊の隊長・王毅研究員から話をうかがった。

■もうひとつの古蜀都市  

2001年2月、不動産会社が金沙村で下水道の配管工事を行っていたとき、骨状のものや青銅器、玉器、石製の人体像を大量に掘り出した。「宝物を発見した!」と人々は驚きの叫び声を発した。  

考古作業隊の発掘によって、5平方㌔にわたる遺跡で大規模な建築物の土台遺跡、祭祀区域、生活区域、墓地が発見された。今のところ古城の遺跡は発見されていないが、学者たちは遺跡の規模、機能の異なるエリア、さまざまな文物をもとに、ここは三星堆文化が衰微した後、成都平原に新たに興ったもうひとつの古蜀国の都市だと推測している。

興奮させることに、近くの黄忠村で発見された大規模な建築物の土台遺跡は敷地面積が1万平方㍍を超え、7軒の家屋からなり、建築面積は4000平方㍍を超えている。木の骨組みに土壁の建物だが、壮大な規模を誇り、間取りなどが整然としており、2700~3200年前の古蜀国の宮殿の遺跡ではないかと学者たちは見ている。

■神社の淵源もここに?  

遺跡館に入ると、目の前に広がる保存状態が完全な大規模祭祀区の発掘現場に驚かされた。

黄金の装飾品「太陽神鳥」は外径12.5㌢で、館内一の宝物だ

祭神、先祖の祭祀と国家防衛が古代君主の重要な職責だった。祭祀を通じて、君主は諸神霊、先祖の霊魂と意思の疎通ができると考えられ、神霊から神力を授けられ、民を服従させ、国と民の安寧を祈願した。

しかし、祭祀の対象、場所、方式が異なるため、各地の祭事はそれぞれ差異がある。同じく古代蜀国だが、三星堆の魚鳧王は、土塁の上に築かれた祭壇に立って祭事を行った。祭事が終わると、焼いた祭祀品を祭祀坑に埋めた。

金沙遺跡の祭祀区が川のほとりにあったことは、川底に眠っていた古代の埋れ木がここから出土したことから立証された。1万5000平方㍍に及ぶ祭祀区で、63カ所の発掘現場から2650~3200年前の6000点を超える金器、銅器、玉器、石器、漆塗り木器と一万点を数える陶器と陶片、1㌧近い象牙と数千本のイノシシの牙、鹿の角などを発掘した。

特筆に値するのは、祭祀区で柱の穴が7つ発見されたことだ。もとは9つだったが、工事によって2つは破壊された。ここが9本の木柱で支えられた祭壇だったことが証明されたことだ。このような9本柱の祭祀台は日本の神社の淵源と関わりがある考える人もいる。また近くで1本のガジュマルの根が出土し、延べ面積は約百平方㍍に達していた。そのほか、2個の石磬が出土した。研究者はガジュマルは三星堆の青銅製神樹のように人と神をつなぐ神樹で、石磬は祭事に使う楽器だと考えられている。

長年、金沙遺跡の発掘、研究に携わっている王院長は次のように当時の祭祀の様子を推測している。祭神に捧げるために、美しい金器、青銅器、玉器、石器、象牙などが供えられ、楽隊は石磬をたたき、祭祀の音楽を演奏した。蜀の王は9本の柱が支える高い祭壇に登り、黄金の仮面をかぶって、大きなガジュマルを通じて天上から降りて来る神々と心を通わせ、国と民の加護と安寧を祈願した。祭事が終わると、蜀王は仮面をはずして、それをすべての祭祀品とともに穴に埋めた。

敷地面積が7588平方㍍に及ぶ金沙遺跡博物館に入ると、目の前に広がる発掘現場に驚かされた

なぜ象牙を供物に使ったのか。その答えは次のように考えられている。2500余年前、李氷と息子が都江堰の水利工事を行う前、岷江はしばしば氾濫し、水害をもたらしていた。古代人は象牙には水の妖怪を殺し、洪水を鎮める神通力があると信じ、川のほとりの祭祀区で、完全な象牙や柱状、円状に並べられた象牙製品を供えて、祭神を祭っていたようだ。考証によると、当時、四川省一帯の気候は穏やかで、象の生存に適していたため、一㌧近い象牙の祭祀品が出土したのも不思議なことではない。

 

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