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金沙遺跡 古代人の宇宙観示す黄金製の「太陽神鳥」

 

■三星堆に似た太陽崇拝  

展示ホールに陳列されている黄金の装飾品「太陽神鳥」は館内一の宝物だ。円形で、外径は12.5㌢、内径は5.29㌢、厚さは0.02㌢、重さは20㌘だ。

透かし彫りの技法でつくられており、全体的な図案は切り絵のように見える。頭と足が前後でつながる四羽の神鳥は、中央に描かれ、光芒を発する太陽の周りを、反時針の方向に飛んでいる構図だ。精密につくられ、なめらかな輪郭線で描かれ、リズム感に富み、強烈な躍動感に満ち溢れている。

この美しい装飾品にはさまざまな意味が込められている。稲作を営む古代蜀人の太陽と鳥への崇拝を表現している他に、古代人の宇宙観を含意している。四羽の神鳥は四季を象徴し、太陽の周りを回っている12本の光芒は12カ月を意味している。太陽と万物の生命が循環を繰り返していることを謳歌しているようだ。

同じ太陽崇拝の三星堆文化と比べてみると、金沙では「太陽神鳥」だけでなく、太陽神廟が発見され、さらに頭に「太陽輪」を載せている小さな泥人形が出土し、三星堆の青銅製「太陽輪」よりも、広く普及していたことがうかがえる。

「太陽神鳥」の金の含有量は九四・二%で、金沙で発見された金器の中で最高だ。特筆に値するのは、その制作は完全に人の手によるもので、たたいたり、折り曲げたり、切断して制作していたことが分かることだ。黄金加工技術のレベルもかなり高かったようだ。

2005年8月16日、「太陽神鳥」の図案は、1600点以上の応募作品の中から「中国文化遺産」のマークとして選定された。

■主要な玉器種類を網羅  

金沙遺跡は三星堆遺跡から約50㌔離れたところにある。どちらも成都平原に位置し、長江上流の岷江から養分を吸収し、育まれた古蜀文化だ。金沙と三星堆は、時間的に比較すると、ひとつの文化が受け継がれた関係がよく分かる。おおよそ3000年前、魚鳧王が創建した三星堆の都は廃棄された。同じ頃、杜宇王が創立した金沙王国は繁栄し始め、500年も続いた。

考古学的な発見から見ると、金沙文化と三星堆文化にはさまざまな相似点がある。例えば①両方とも古代蜀人が創建した古代蜀国②住民は骨組みが木か竹で土壁の家に住み、稲や桑の栽培、牧畜、漁労、狩猟で生計を立てていた③かなり先進的な鋳物、陶器、玉器、木器の工芸技術をもっていた④「万物に魂が宿る」と信じ、大自然と祖先の霊魂、とりわけ太陽、鳥、虎、蛇、亀、蝉、目を崇拝し、幸福を祈るためにいつも国王か祈祷師が盛大な祭祀を行っていた。

器物から見ると、金沙から出土した金器、銅器、玉器、石器、陶器は三星堆のとほぼ同じ芸術的特徴をもっている。そのうち、金製の仮面と冠帯、青銅製の人物彫像、有領(襟に似た突起)玉璧、玉璋、目の形をした什器は、三星堆の造型スタイルと一致し、図案や紋様が同じものを見つけることができる。こうした点から、三星堆と金沙の源流が緊密な関係を持っていたことが想像できる。

しかし、金沙文化も独自の特色を持っている。まず金沙から出土した200点に達する金製の器具には、さまざまな形状があり、三星堆は及ばない。次に、金沙では現在2000点に達する玉器が出土し、圭(板状の直方体で先端が尖った玉)、璋(圭を縦に二分した玉)、琮(内円外方の柱形をした玉)、璧(薄くドーナツ状の玉)、玦(帯に付けた装飾用の玉)など二十数種あり、中国の青銅器時代における玉器の主要な種類をほぼ網羅している。また出土した1200点の石器は、形や造りがさまざまで、小さく、精巧につくられ、日用品ではなく祭事に用いられた道具だった。最後に挙げるのは、出土した驚くほど多くの陶器の中で、最も特色のある尖底盞(ちょこ)と砲弾に似た形の尖底杯だ。いずれも底が尖った器のため、平らな場所には置くことができないことから、台座と組み合わせていっしょに使われたものだったと推測できる。

 

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