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初心を胸に学生たちと共に

文=山口榮一

2005年8月、山西省運城空港に降り立った。中国との出合いは50歳を目前にしたある日、手にした一冊の本がきっかけだった。本多勝一氏の『中国の旅』。本書こそが今思えば、私の人生後半を堅くゆるぎないものにしてくれた。「中国のために、何かをしよう」「日本と中国の友好発展こそ、アジアの基」。そうして行き着いたのが、日本語教師の仕事だった。

運城市は、北京の南西920㌔、汽車で16時間半、飛行機で1時間半のところにある地方都市。60㌔ほど行くと、黄河がゆったりと流れている。また、ここは『三国志演義』の英雄・関羽の出生地でもある。そう遠くない過去、この街にも旧日本軍が進駐した。市内のそこここに、今でもそうした時代の痕跡を見ることがある。

山口榮一 (やまぐち えいいち)

1947年群馬県高崎市生まれ。東洋大学卒業。東京都内の公立学校教員を退職後、2005年9月より山西省運城学院に日本語教師として勤務。小さい頃からの夢であった「外国暮らし」を体験中。学生と触れ合えるのがこの仕事の一番の魅力(年を忘れられる)。モットーは笑顔、太極拳を猛特訓中。

写真は、2011年3月の東日本大震災直後、教室に入ると、黒板に「日本頑張れ!」。 その前で筆者(中央)は学生たちに囲まれて記念撮影(写真・筆者提供)

時々、夜行列車を利用する。中でも、1日1本の北京・運城間の長距離列車の常連になると、もう列車の乗務員とも朋友だ。ある時北京から運城に戻るおり、車内に日記を置き忘れたことがあった。でもそれが奇跡的に手元に戻った。多分、顔見知りの乗務員が「これは、あの日本人に違いない」と判断して、運城駅で保管して下さったに違いない。中国で生活する私にはやっぱり夜行列車が心休まるし、「旅情・ロマン」を掻き立てられる。

学生の中には、卒業後日本に留学する人もいる。数年前、卒業生に成田まで付き添ったことがあった。学生はまだ日本語が十分ではなく、不安いっぱいだったことだろう。成田税関の係官は、そんな学生の気持ちを推し量り、パスポートを返しながら、「勉強をがんばって」と笑顔で声をかけてくださったそうだ。どんなに励まされたことか。その後、学生は学業を終え、無事卒業している。

また、別の学生からこんな手紙をもらったことがあった。

「私は、初めて先生のお宅を訪ねた時のことをはっきり覚えています。その時、私はとても緊張で話したいことも、全部忘れてしまいました。なぜならば、私は日本人は厳しいことと思っていました。でも尋ねた後で、日本人についての印象はまったく変わりました。先生の話し方や態度や仕事についてのことから、そう思いました。それから、日本人と日本語の興味が深くなりました」(原文のまま、一部抜粋)

これからも、青雲の大志に燃え、日本と中国の架け橋たらんと日夜勉強に励む学生たちや、好意的で親しみ深い市民のみなさんと交わり、わが初心をさらに実り豊かにしていきたいと思って過ごしている。

 

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