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経済から民生向上への10年

 

中国共産党第16回全国代表大会(十六大、第16回党大会)以後の10年間(2002~2012年)の成果に関する論評が中国のマスコミをにぎわしています。例えば、『人民日報』は「科学発展 輝く成果─十六大以来の中国改革発展の歩みを論評する」と題した特集を組みました。5000年に及ぶ中国史においてはほんの一瞬に過ぎない10年間ですが、これほど劇的な変化を遂げ、世界から注目された10年間はなかったでしょう。

世界を「見る」から「溶けこむ」へ

今年夏、ロンドンオリンピックが開催されました。中国はオリンピックのメダル獲得数で世界をリードしています。2008年開催の北京五輪ではどの参加国・地域より多くの金メダリストを誕生させています。スポーツ競技では、主義、主張、制度、民族、宗教が異なっていたとしても、どの国・地域の選手も共通ルールで技を競います。

2004年10月の国慶節、北京の天安門広場に掲げられた国家の指導理念「科学的発展観」を謳う大看板

世界経済においてはどうでしょうか。2010年、中国は国内総生産(GDP)で日本を抜き世界第2位の経済大国の座を射止めました。銀メダリストとなったわけです。オリンピックは4年に1度のスポーツの祭典です。4年後に中国が世界経済で金メダリストになる可能性は大いにアリです。

過去10年間に中国が成し遂げた数多くの未曾有の成果の中から一つ挙げるとしたら、経済大国への躍進を挙げる人が多いはずです。1人当たりGDPでは、2003年に1000㌦超でしたが、2011年には5414㌦へとほぼ五倍増となり、「中等収入」国家に仲間入りしたとされますが、まだ、日本の8分の1に過ぎません。このほか、北京五輪、上海万博(2010年)の開催で中国が世界の注目を集めたことも突出した成果の一つとして指摘できるでしょう。『人民日報』は、世界の注目もさることながら、中国人が「從看世界到融入世界」(「世界を見る」から「世界に溶け込む」)に変わったと論評しています。

中国経済と中国人民が大きく国際化したということでしょう。

さらに、神舟、嫦娥計画に代表される宇宙計画事業の進展や高速鉄道(日本の新幹線に相当)網の整備などが、10年間の輝かしい成果でしょう。今年6月には、神舟9号(初の女性飛行士が搭乗)が打ち上げられ、天宮1号とのドッキングに成功しました。この快挙を米誌『アトランティック・マンスリー(Atlantic Monthly) 』が「胡錦濤的肯尼迪時刻」(胡錦濤のケネディ・タイム)(注1)と題して論じたとを、新華ネット(2012年6月24日)が報じています。その時期については、まだ未定ですが、中国が目指す有人月面着陸が視野に入ってきたようです。筆者が北京に赴任した2001年当時、海外からの技術導入による建設が検討されていた高速鉄道が、わずか10年足らずの間に独自開発され、海外で建設を請負うまでになると想像した人は皆無でした。

10年間は、「輝かしい成果」ばかりではありません。汶川地震、甘粛舟曲土石流災害などの自然大災害、食品安全、環境保全における重大な事件・事故の発生、そして、2003年のSARS(新型肺炎)禍など未曾有と言える事態にも見舞われています。さらに、世界的な経済危機(米国発金融危機、EU債務危機)にも直面するなど、中国経済が大きな試練に直面した10年でもありました。

今年7月、党中央が開催した「党外人士座談会」(超党派座談会)で胡錦濤国家主席は今年下半期に重点的に取り組む経済活動として6点(経済のマクロコントロールの改善、農業の近代化、経済発展パターンの転換、改革開放の推進、民生の保障・改善、経済リスクの回避)を挙げています。これまでの10年間の総括であるとともに、次世代に託す国家運営の要点を披歴したとも読めます。

鄧小平氏の「先富論」から「共同富裕」へ

1949年の中華人民共和国成立以来今日まで中国の歩んだ道のりは、改革開放政策が採択された1978年を境に、それ以前の「政治重視」から「経済優先」の時代に入ったと言えるでしょう。経済優先の時代は、鄧小平氏の南巡講話(1992年)を境に新たな展開を遂げます。例えば、中国は途上国最大の投資受け入れ国ですが、外資系企業の対中進出が加速するのは1992年以降です(2012年5月時点で43万9300余社)。

では、新中国成立以来の道のりから見て、この10年間はどんな時代だったと位置付けられるのでしょうか。一言でいえば、経済優先から民生向上への時代の幕を開けた10年間といってよいでしょう。

この10年間、党と政府が強調した国づくりの要諦は、「科学的発展観に基づく社会主義和諧社会の建設」です。「和諧社会」の建設とは、各階層間で調和の取れた社会を目指すということです。ここで強調されているのは「社会」です。鄧小平氏は南巡講話で「社会主義市場経済」を打ち出し「経済」を強調しています。本来、対立する概念と思われていた「社会主義」と「市場経済」を中国の実情にあった形で組み合わせて実践したことが、現在に至るまで、中国の飛躍的経済成長を可能とし、二度の危機に見舞われた世界経済の安定につながったとする識者は少なくありません。

「和諧社会」の核心は「以人為本」(人間本位)にあるとされています。即ち、民生向上が強調されていると言ってよいでしょう。その成果の一端として、医療、福祉、教育、雇用など社会保障面での充実、2600余年続いた農業税の全面廃止(2006年)、2007年に始まる義務教育無料化、都市化の推進などが指摘できます。階層間格差の是正に大きな一歩が踏み出されたと言ってよいでしょう。

「以人為本」の「人」とは、中国13億人の全てが対象ということになります。「民生向上」とは、鄧小平氏が提唱した「先富論」の第二段階となる「共同富裕」を代弁していると言えるでしょう。2002年、中国が「人材強国」戦略を提起し、科学教育に注力しているのも人口の有効活用による民生の向上を期待してのことと言っても過言ではないでしょう。

「改革開放」路線から「創新開放」へ

10年間に中国が発揮したチャイナ・パワーは、今後、国際化、都市化、文化、創新化の「四化」に反映されていくと考えられます。例えば、中国企業の海外進出(注2)としての国際化、民生向上の舞台となる都市化、中国ソフトパワー発揮のための中国文化、そして、ポスト「改革」となるであろう「創新」、即ち、「改革開放」路線から「創新開放」路線へと引き継がれるということです。

『人民日報』は、10年来の中国経済を例えて、「中国号という経済列車を最速走行させながら振動が最小だった黄金の10年」と称しています(注3)。

果たして、「黄金の10年」だったかどうかは、評価が分かれるところですが、オリンピック競技に例えれば、準決勝で勝利し、金メダルか銀メダルのいずれかを決めた瞬間の選手の心境にあるのではないでしょうか。

 

(注1)1961年5月25日、ケネディ米大統領が連邦議会特別両院合同会議で「1960年代の終わりまでに人類を月面に到達させる」と表明し、1969年7月20日、アポロ11号でその公約が実現

(注2)2011年末時点、1万8000余社の中国企業が海外進出

(注3)2010年6月10日『人民日報』

 

(財)国際貿易投資研究所(ITI) チーフエコノミスト 江原規由

1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市旅順名誉市民を授与される。ジェトロ北京センター所長、海外調査部主任調査研究員。2010年上海万博日本館館長をを務めた。

 

人民中国インターネット版 2012年10月

 

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