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日本人が知らない桃源郷

 

岡田茉弓

 なんと埃っぽい国なんだ……。

 これが中国に3月初旬から2週間ほど天津、北京で過ごした私が抱いた中国という国に対する印象だった。

 雨が降ることはめったにないらしく、土は白っぽく、少し風が強いと昼だというのに夕方のように外の景色がかすむ。日本から大量に持ってきたマスクは息苦しくなるのが嫌であまりしたくなかったが、北京に来た日は「さすがにこれは……」と、観念してマスクをつけなければいけないほどひどかった。

 日本のしとしとと恥じらうように降る雨音がなつかしかった、目が痛くなるような緑がなつかしかった、私は異国の都で、故郷のなんでもない風景が恋しくてたまらなかった。

 中国に来て観光や語学研修に忙しくて思い出す暇もなかった日本について、私は数メートル先もかすんで見える景色を窓辺越しに眺めながら思い出していた。

 もちろん北京、天津についてネガティブな感情ばかりではない。特に食に関しては、できることならば日本にすべて持ち帰りたいとさえ願ったほどだ。

 天津にいたころの朝、私は決まって粟のおかゆと卵と漬物を食べていた。粟のおかゆは南方に行くとお米に変わった。しかし、あのあっさりしてつるつると口に入る感触は朝にぴったりで、なおかつ脂っこい中華料理を食べていても粟のおかげで私は腹を下すといった経験をしなかった。中国から帰国して半年経った今でもなつかしく、食べたいと切に願っている。

 しかし、正直中国という国は美しいかといわれれば、北京にいたころの私は苦笑いしながらNOといっていたと思う。

 その無秩序で、ぼんやりとしている雰囲気が嫌いではないが、好きになれなかったのだ。

 格式ばったものが好きなんじゃない。むしろ嫌いだ。でも、私が欲しているものをこの国に求めていけない気がしていた。

 それから私は北京よりさらに埃っぽい西安にむかい、その後成都についた。

 成都についたのは真夜中で、この土地がどういったところかを十分に確認できなかった。

 早朝、朝食といって配られた牛乳と中国にきてから久方ぶりの再会であるパンをほおばりつつ楽山大仏に向かった。

 空気は北京よりマシだなと、ぼんやりとした頭で考えながら、目の前に広がる澄み渡った空気と、どんよりした空を眺めていた。

 しばらくして景色は町から田舎に変わった。

 そして、そこで見たものを私は今でもわすれられない。

 地面が黄金色に光り輝いていた旅の疲れでしぼしぼとして脳と目を私は必死にさまし、改めて目の前の景色を凝視した。それは、一面の菜の花畑だった。

 日本で見るような道の端のお飾りではなかった。村という村が菜の花畑に覆い尽くされていたのだ。

 菜の花はここまで力強く、可憐で、気品あふれている花だったのか……

 地表を覆いつくし圧倒的な存在感を示すのに、凛としている、それなのにどこか愛らしさを残している一面の菜の花畑はこの世のものとは私は思えなかった。

 そんな菜の花畑を時折、人影が通り過ぎていく、その姿は菜の花に覆いつくされるのでも、菜の花を威圧するものではなかった、ただただ自然とそこにいた。

 美しかった。あまりにも美しい景色だった。

 ああここは桃源郷なんだ。

 私はそう納得した。水にぬれて照り輝く木々、一面の美しい菜の花畑、そしてその中で一歩、一歩をゆっくりと、でも確実に歩み続ける農民の姿は、いつか読んだ漢文の景色にそっくりだと思った。

 私はその景色を見た瞬間、中国という国の印象ががらっと変わった。

 埃っぽくて、精気がない国という印象から、みずみずしい自然とその中で自然に威張りちらすわけでも、遠慮しすぎるわけでもない人々がいる国という印象になった。

 私はここまで美しい景色を日本はもとより、韓国やアメリカでも見たことがなかったし、ないだろうと確信した。

 私が心の奥底でこの国で欲していたのはこれだったのか、と私はわかった。

 素朴でありながら、力強い風景なのだと。

 それから私はこの国を離れるのが惜しくてたまらなかった。

 美しい景色と、ゆったりとした時間、おいしい料理を捨てる気にはなかなかなれなかった。

 4月になろうかなるまいかという時、私は消費税増税前の日本に帰って行った。

 中国の旅の終わりはあっけなかったが、心に残したものは重かった。

 もし、私の目の前で中国は汚いと嘲り笑う人がいたら私は微笑みながらこう答えようと思う。

 「春、あたたかくなり始めた成都に行ってください。あなたは決して忘れることの景色に出会うから」と。

 

人民中国インターネット版 2015年1月

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