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~日中間で彷徨いながらも明るい将来を夢見たい~

 

入山 宥昌

今から30数年前に、父は多くの期待を背負って日本に留学してきた。ぼくはこの中国人の父と日本人の母の間に生まれたハーフである。今年から中国語を勉強しはじめているが、まだほとんど話せない。日本生まれで地元保育園育ち、小・中・高も全て日本の学校に通っていたぼくが、小学生の頃によく父に連れられて中国大陸を旅行していたが、各地で聞いた違った中国語の発音はあまりにも多かったので、覚えることができなかった。

中学校から部活に参加するようになり、試合の遠征で中国人の友達もできたので、中国のことに対する関心も少し出てきた。しかし、その頃からテレビでは日中関係の悪いニュースがよく流されるようになり、印象に残っている「島」をめぐる争いのシーンは大変ショッキングなものであった。学校でもこれが話題となって、「日本のものだとか、どちらのものでもあるとか」といろいろな意見が飛び交っていた。ぼくは真ん中の立場であるので周りの過激な発言にいろいろと困惑していた。「なぜこのような争いが起き、このように人々は振り回されるのだろうか」とその時は思った。

日本のマスコミはあの頃、毎日のように中国での日本への抗議デモの映像を繰り返し流していた。日本の品物を置いている商店を叩き壊し、日の丸を燃やしている中国人。ぼくの周りの日本人のイメージが一気に悪化してしまった。しかし、ぼくは信じたくなかった。「本当に中国のいろいろなところでこのようなデモが起きているのだろうか」と疑問に思った。ぼくの実家の隣に中国総領事館があり、週末には黒塗りの街宣車がよく轟音を立てて周辺を徘徊するが、これは日本のすべてではないと知っているからだ。

そこで、父に薦められて中国に実際に自分の目で確かめに行った。上海空港に着いたときは少し不安もあったが、市内に近づくにつれそれが無用であることと悟った。日本と変わらない平和で穏やかな、学生や大人たちが学校や仕事場から自宅へと向かう光景が目の前にあった。

翌日、人の賑わう繁華街へ行ってみた。日本人観光客と見るやいなや、偽物ブランドを売ろうとしてくる売り子の人が、「これ安いよ、本物だよ、買って、買って」と上手ではないが、一生懸命に日本語を使っていた。商売のためとはいえ、彼や彼女たちの日本語を聞いてちょっと嬉しくなったのを今でも覚えている。

上海の街にはとても多くの高層ビルが建ち並んでいた。自分が知っている東京よりも多いのではないかと思った。また、街のレストランで食べた日本風のラーメンやたこ焼き、どれも美味しくおまけに安かった。あまり違和感もなく、親しみのもてる中国であった。もちろん、中華料理もとても美味しい。ぼくのお気に入りは豫園のカニみそ入り小籠包である。しかし、油の少ない日本料理を食べなれたせいで、油の多い中華料理を食べすぎて翌朝お腹を壊してしまった。これはいい経験であり、後にいい思い出にもなった。

この旅で、中国の人は日本のニュース報道で言っているほど日本に対し悪いイメージを持っていないことに気づいた。持っている人がいたとしてもほんの一部だと分かった。情報はたとえ量が少なくても伝え方によっては人の心をいとも簡単に操ることができるのだと痛感させられた。情報を鵜呑みせず、常に批判的な視点を持って自分の力で調べたうえで判断することの大切さがこの旅行を通じて学んだと思い、高校生なりに喜んでいた。

いま、ぼくが通っている大学は日本の中でも特別な国際的な環境をもつ学校である。学生の半数は世界各国から集まってきた国際学生である。中国からの学生も多い。ぼくは知り合いの中国人学生に「なんで日本の大学に入学しようと思ったの?」と質問したことがある。彼たちから返ってきた答えに、「日本の食べ物や、日本のアニメ、日本の文化が好き」といったものがある。ぼくはその時改めて「文化」の偉大さやすごさを知り、同時に文化を大切にしていかないといけないと思った。政治とか経済の関係は現実的な利益に絡む話が多いが、文化はもっと深いところで心と心の交流を促し、世界各国の人々をつなげることができるからだ。実際にぼくたちも学内で日々このような文化の国際交流を実践しているのである。

日中両国は引っ越しできない隣国であり、ぼくもこの二つの国の間に生まれ、これからも活きていく覚悟である。国同士の関係に翻弄されて戸惑うことも多いが、中国旅行の経験や国際学生との交流を通じて、ぼくは明るい将来に希望を持ち続けている。日中両国は近隣であるが故にお互いの悪い点も目につきやすいが、逆に近いから交流しやすい利点もあり、そこからお互いの良い点を見出す努力が不可欠だと思う。お互いに相手を認め合うことから出発し、己の短所を見つければ努力することにつながり、相手の長所を認めれば学ぶ方向に向くのであろう。それは簡単ではないと分かっているが、将来、ぼくも中国と日本をつなぐような仕事に就き、相互理解促進の橋渡し役を果たしたいと願っている。

 

人民中国インターネット版 2015年1月

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