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巨木も若芽から生じる

 

証券マン 高明さん

 

北京海通証券有限公司の証券マンである高明さんは40歳。すでに株と12年間もつき合ってきた。中国の株式市場の成長とともに、彼の人生も大きく変わった。

 

最初は乱高下した株

 

高明さん(写真・沈暁寧)
1978年から始まった中国の「改革・開放」によって、株式制度は次第に社会主義市場経済の重要な構成部分として確立された。1984年、上海飛楽音響株式会社が、新中国で最初の株券を発行した。

 

1986年9月26日、新中国で最初の株券取引カウンターが、上海に誕生した。ここはかつて10平米しかない床屋であった。

 

その2月後、世界最大のニューヨーク証券取引所のジョン・フェラン理事長がこの世界最小の株券取引カウンターを訪問し、「合抱之木、生于毫末(ひと抱えもあるような巨木も、若芽から生じる)」という中国の諺を漢字で揮毫した。

 

1990年末、深圳と上海の証券取引所が相次いで誕生した。しかし、管理の面で経験が乏しい中国の株式市場は、まるで野生の馬のように暴れ回った。

 

1992年5月、株価は570%暴騰した。このため8月には、全国から100万以上の人々がどっと深圳に集まり、株券購買の抽選券を奪い合うように買った。しかしその年の11月、株は1000ポイント以上急落し、多くの個人投資家がブランコのように富者と貧者の間を揺れ動いた。

 

間もなく、中国は証券監督管理委員会を設立し、『株券の発行と取引の管理に関する暫定条例』を公布して、行政的な手段で株式市場を安定して発展させようとした。

 

1995年、北京のある病院で働いていた高明さんは、株の売買をしてみたいと思ったが、父親はそんなことはまともな仕事ではない、と反対した。そこで彼はこっそりと、自分で少しずつ貯めた30000元を株に投資するほかはなかった。2年間の試行錯誤の結果、彼の元手は雪だるまのように増え、12万元に増えた。しかし、喜んでいた高さんは、その後2年間も続いた「弱気の市場」がすぐにやって来るとは思いもよらなかった。

 

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