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澳門・歴史市街地 東西の文化が溶けあう国際都市

 

悠久なる歴史をもつ町並み

 

 2005年7月、第29回ユネスコ世界遺産委員会において、「澳門歴史市街地区」が世界文化遺産に登録された。澳門歴史市街地区は、澳門の旧市街地を中心とする歴史ある町並みである。その古い建築、教会、廟は、周囲の広場や街道と一体化し、澳門の人々の生活と密接に関わっている。

 

媽閣廟

 媽閣廟(媽祖閣)は澳門半島の西南端に位置し、内港の入口を守っている。媽閣廟は澳門に現存するもっとも古い廟であり、澳門の文化財のうち元々の建物がもっとも長い間保存されてきたものでもある。そこには「神山第一」殿、正覚禅林、弘仁殿、観音閣などの建物がある。この廟は主に媽祖を信仰しているものの、構内には観音、土地神、阿弥陀仏などもあり、民間の神廟と仏教寺院が相容れるという特徴を体現している。

 

民政総署大楼

 港務局大楼(ムーリッシュバラック)はインド風の建物で、もともとはムーア兵営と呼ばれた。イタリア人の設計により、1874年に建てられたもので、当時澳門で警察の任についたインド人の兵営であった。1905年より、ここは港務局と水上警察の執務場所となった。

 

 港務局大楼の前から、一本の通りを歩いてゆくと、リラウ広場に出る。リラウとは、ポルトガル語で「山泉」という意味である。かつてここは澳門の主要な水源であり、マカオでポルトガル人が最初に集まり住んでいた場所の一つであった。澳門のポルトガル人は民謡に歌う。「リラウの水を飲んだら、澳門のことを忘れられぬ。澳門で結婚するか、長く離れることがあろうと再び戻ってくるか」

 

鄭家大屋

 リラウ広場からは、鄭家大屋を眺めることができる。鄭家大屋は清末の裕福な商人の邸宅で、1881年ごろに建てられた、中国近代の著名な愛国思想家、実業家、慈善家である鄭観応(1842~1921年)の先祖の住居である。鄭観応の代表作『盛世危言』には、国を救って富強にし世界の強国に追いつこう、という西洋諸国に学んだ彼の進歩的な思想と追求が反映されている。

 

ナーチャ廟

 ポルトガル人が澳門で城壁を築いたのは、早くは1569年以前にまで溯る。澳門全体で、西部の内港のほか、北部と東部および南部にすべて城壁が築かれ、それぞれの要塞には砲台も設けられた。澳門は軍事的防衛上において、厳重な砦となった。現存する旧城壁は、当時に建てられたものの一部である。

 旧城壁のそばに、1888年に建てられたナタ(ナーチャ)廟がある。廟内にはナーチャ(仏教と道教の守護神)が祭られている。周囲の聖ポール天主堂跡と旧城壁と比べ、ナーチャ廟はまるで建築のおまけのように、装飾がシンプルで、小さく精巧かつユニークである。

 

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