五台山での円仁(1)「竹林寺」

 

慈覚大師円仁 円仁は、838年から847年までの9年間にわたる中国での旅を、『入唐求法巡礼行記』に著した。これは全4巻、漢字7万字からなる世界的名紀行文である。仏教教義を求めて巡礼する日々の詳細を綴った記録は、同時に唐代の生活と文化、とりわけ一般庶民の状況を広く展望している。さらに842年から845年にかけて中国で起きた仏教弾圧の悲劇を目撃している。後に天台宗延暦寺の第三代座主となり、その死後、「慈覚大師」の諡号を授けられた 





 



 

五台山到着は、疲労困ぱいの旅路の果てのクライマックスであった。ロバを小さな僧院に預けて、円仁と弟子たちは高い嶺を越えて名刹竹林寺を訪ねた。円仁はこの聖山に2カ月滞在し(840年旧暦5~6月)、集中的に数カ所の寺で学んだ。ついに円仁は、中国の高名な仏教の師について学ぶ機会を得たのであった。知識の追求こそが、海を渡り、中国諸官庁に対してこの遠い聖地への徒歩旅行を決然と願い出た、究極の目的であった。

 

円仁は竹林寺内の特別な堂宇すべてに案内されたが、その一つに白玉石の戒壇があった。五台山に到着して1週間後、円仁に同行した二人の弟子、惟正と惟暁はここで正式に具足戒を受けた。

 

「5月2日、我々は72賢聖の曼荼羅を礼拝し、白玉の戒壇を見た。また戒壇を司る長老、霊覚和上にお会いした。年は百歳にして、僧になって72年……非常に丁寧で親切であった」

 

円仁日記からは、五台山に在ることの至福の感懐が伝わってくる。

 

「この清涼山(五台山)では5月の夜もきわめて寒く、人は通常綿入れの上衣を着ている。嶺の上、谷の内に樹木はまっすぐに伸び、ねじ曲がった樹は一本も無い。……眼前の万物は、すべて文殊菩薩の化身ではないかという思いを起こさせる。文殊菩薩の聖霊の地では、同時にこの土地と自然に対する畏敬の念を生ぜしめる」

 

これが円仁日記巻第二の最後のくだりである。   (阿南・ヴァージニア・史代=文・写真 小池 晴子=訳)

 

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