正山小種を訪ねる

 

棚橋篁峰  中国茶文化国際検定協会会長、日中友好漢詩協会理事長、中国西北大学名誉教授。中国茶の国際検定と普及、日中交流に精力的な活動を続ける。
武夷山へ行くと、武夷岩茶の中でも大紅袍が有名すぎて、そればかりに目を奪われがちですが、案外知られていないものに「正山小種」という紅茶があります。紅茶の原産地は中国なのですが、インドやスリランカだと思っている人が非常に多いのには驚きます。

 

今回は世界最初の紅茶の産地を見学するため、武夷山の町を離れてみました。目的地は、武夷山九曲渓付近の星村鎮桐木村から東北5キロの江墩・廟湾自然村にあります。武夷山の町からは西に40キロほどです。この地区は、武夷山自然保護区に指定され、深山幽谷の素晴らしい景色に囲まれています。

 

世界最初の紅茶工場

 

朝早くホテルを出発。星村鎮を過ぎると爽やかな風と空気に包まれ、途中の三港には自然博物館があります。この自然保護区は、江西省との省境に位置して、平均標高は1200メートル、最高峰の黄崗山は標高2158メートル。豊富な自然は「生きた化石」と称され、植物は2000種、動物は中国に生息する種の3分の1、鳥類は4分の1、昆虫にいたっては32目のうち31目が集中しているのです。

 

観光地化された世界遺産とは違う魅力にあふれています。私は途中の渓谷で車を降り、大自然の「気」を満喫しながら、正山小種発祥地の江墩・廟湾に向かいました。

 

10時すぎ、元勲茶廠に到着。社長の江元勲氏の出迎えを受け、社長室で正山小種のお話を伺いました。部屋には張天福氏が揮毫した「茶葉世家」の題詞があり、この工場が世界最初の紅茶の生産地であることを証明しています。以下は、江元勲氏の話をまとめたものです。

 

「江一族は、宋代末期に河南省の信陽付近からこの地に移住してきて茶を生産しました。もちろん、この時期の茶は緑茶です。その後も緑茶を生産していたのですが、明代末期のある年(年代不明)の茶摘みの時期、北方の軍隊が茶の工場に駐屯しました。そのため、工場の人たちは難を避け、軍隊の帰るのを待って工場に戻りました。当然茶葉は変色して紅くなっていました。責任者は何とかして茶にするため、茶葉を揉んだ後、この地の松の木で燻したのです。乾いた後、茶葉は黒く光り、松脂の香りがするお茶ができました。これが正山小種です。この茶は最初売れないと思われたのですが、星村鎮で販売してみると好評で、2、3倍の値で売れました。さらにこの茶は、1601年にオランダ船が中国に来たことから、1610年にはインドネシアを経由してヨーロッパにもたらされました」

 

こうして紅茶は世界の飲み物になったということです。お話を聞いていくつかの疑問が残りました。① 明末のある年とは何年なのか、② 北方の軍隊が駐屯したというこの争乱は何を指しているのか、③ 軍隊はなぜお茶を放置したのか。これらは不明のままですが、この時期に紅茶ができたことは間違いないようです。また、この頃、中国人はあまり紅茶を好まなかったようですから、ヨーロッパに売られていったことは理解できます。

 

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