日はまた昇る(太阳照常升起)

 

監督 姜文

2007年 116分

 

あらすじ 

 

南方の山村に住む小隊長は父の顔を知らない。母親は奇矯なふるまいで息子をふりまわした挙句、村に下放してきた唐先生とその妻を木の上から見た直後に川に身を投げて自殺する。唐先生は単身赴任先の石油発掘技術を教えていた学校で校医の林医師と深い仲になり、自分たちの仲を隠すために、林医師と謀って同僚の梁先生を陥れ、それが原因で梁先生が自殺したため、山村に下放されてきたのだ。 

 

唐先生が山の子どもたちと猟銃で野鳥の狩りを楽しんでいるうちに、小隊長と唐の妻は深い仲になる。それを知って、小隊長に銃を向ける唐は自分が小隊長の父親であることを知らない。唐はまだ婚約中だった妻を南洋に置いて、祖国建設のために中国に来て、知り合った小隊長の母と結ばれ、唐の子どもを身ごもった小隊長の母は唐を訪ねる旅の途中で同じく南洋から唐と結婚するため、はるばる訪ねてきた彼の婚約者と道連れになるが、二人は自分たちが同じ男を訪ねて行くのだとは夢にも知らなかった。

 

解説

 と、あらすじを書いたが、これはたぶんそういう話なのだろうと私が推測しただけで、中国では公開当時、何だか話が見えないと言う声が高く、台湾の著名な映画評論家ですら、『ダヴィンチ・コード』のような謎解きの映画と評している。

 

『鬼が来た!』から7年、待ちに待った姜文の監督第三作は、まるでフェリーニの『81/2』のような、夢と幻想と現実が入り混じった、まったく新しいタイプの中国映画であった。豊かなイマジネーションで、文学の世界では語り尽された感のある1950年代と70年代の中国の時代を、まったく新たな映像表現で見せたのは、さすがは姜文である。 

 

おそらく、姜文は中華圏で唯一人、映画を崇高な芸術か己が使命と考えている監督である。そこが、映画産業というショービズの世界の職人であるアン・リーや、映画という名のショーを演出する舞台監督張芸謀と大きく違うところだ。姜文が撮るのはあくまでも自分独自の世界、そして常に、人間とは、人生とは、生きる意味とはを追求してやまない。この映画もまたしかり。今回の映画の、特に唐先生のような己の欲望にのみ忠実な男性は私自身は嫌悪してやまないタイプだが、「他の人の映画はカクテル、自分の映画は純粋なウオッカ」と語る姜文の世界には確かに幻惑され、酔わされてしまうのだ。

 

見どころ 

 

香港のアイドルスターで、ジャッキー・チェンの息子のジェイシー・チャンを1970年代の中国の山村の青年に変えてしまう監督手腕は、『太陽の少年』で、素人の少年だった夏雨にベネチアで最優秀男優賞を取らせ、『鬼が来た!』で香川照之さんに演技開眼させた姜文ならではの俳優養成術である。ベテランのアンソニー・ウォンとジョアン・チェンだって、この映画では他の作品の彼らとはまったく異なり、実に魅力的で可愛げがある。特に、ジョアン・チェンの色気虫のような女医役には腹を抱えて笑ってしまった。最近は年配の婦人の役が多かった彼女に、こんなおバカで、セックスアピールむんむんの女の役をやらせた姜文は、人を食ったようなセンスの持ち主でもある。 

 

姜文たっての頼みで音楽を担当し、モーツァルトを超えた旋律をという要望にこたえた久石譲のテーマソングも魅惑的だが、個人的には劇中でアンソニー・ウォンがギターを弾きながら歌うインドネシアの民謡「ブンガワン・ソロ」の甘いメロディーと歌声にしびれた。日本での公開は、いつになることだろう。

 

 

水野衛子 (みずのえいこ)
 中国映画字幕翻訳業。1958年東京生まれ。慶応義塾大学文学部文学科中国文学専攻卒。字幕翻訳以外に『中国大女優恋の自白録』(文藝春秋社刊)、『中華電影的中国語』『中華電影的北京語』(いずれもキネマ旬報社刊)などの翻訳・著書がある。

 

 

人民中国インターネット版

 

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