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上海万博を契機に、世界へ

陳言=文

陳言

コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。

十月三十一日に閉会式を迎えた上海万博は、中国の都市化の現状と今後の展望を余すところなく展示したが、中国の全人口の五%に当たる七千万人を超える来場者数を記録しただけでなく、テレビ、インターネット、新聞などの報道を通じて中国全土の津々浦々にまで知らされ、中国の人々が世界に目を向ける大きな契機になった。

サウジアラビア館、日本館、イギリス館などは、会期中を通して、中国館と同様、またはそれ以上の人気を博した。最先端の技術とコンセプトを駆使した展示を繰り広げた外国館は、それほどに話題となり、中には八時間も行列してやっと入場したものの、見学時間はわずか一時間といったパビリオンもあったが、それでも入館者は一様に満足の表情だった。

よし、次の機会には国内のまだ知らぬ都市へ出かけるぞ、外国なら、まずはあの国だ……。上海万博は、多くの中国人にとって外に目を向けるきっかけを作ったのである。

外に出かける中国人

故郷を遠く離れ、広州、上海、北京などの大都市で一年間働いても、七星岩も魯迅公園も万里の長城も見ることなく、翌年の春節(旧正月)に帰郷するしかなかった出稼ぎ労働者だったが、今ではデジタルカメラやカメラ付き携帯電話を手に、万博会場をはじめ各地の観光地を訪れるようになった。

万博会場の建設では、数万人の出稼ぎ労働者も汗を流した。「万博建設に参加した出稼ぎ労働者には、入場券を贈呈すべきだ」と夏金華・上海市政治協商会議委員は提案した。その提案もあって、多くの出稼ぎ労働者が万博会期中、会場を訪れ、自分が建設に携わったパビリオンを参観し、また家族、友人にも上海万博を紹介した。口コミが大きな役割を果たし、多くの人々が中国各地から万博会場を訪れたことは事実である。

そうしたさまざまな条件が重なって、上海は全中国の注目の的となった。日本館のスポンサーの一つ、キヤノンは、「魅力あふれる上海」というインターネット上の写真コンテストを万博会期中に開いたが、十月中旬現在ですでに三千万回以上のページビュー(PV)があり、投稿写真は十二万枚を超えたという。

開かれたイベントに関連して他の都市に関心を寄せ、また出かけて行って写真も撮り、コンテストに参加するという現象は、今回の万博で初めてブームになった。自分の周囲の限られた小さな世界にしか関心のなかった中国人が、三十年あまりの「改革・開放」の中で、観光などを通じて外に出かけ、外の世界に関する理解を深めるようになったのだ。上海万博は、こうした時期に開かれた極めてタイムリーな一大イベントであり、国にとっても国民にとっても文字通り時宜を得たものだったと言っていい。

外に出かけよう、というブームに乗って売り上げを伸ばしたのがデジタルカメラだった。カメラで情報を記録し、発信していきたいと、中国の普通の消費者がごく自然に思うようになった。キヤノン中国の場合、二〇一〇年の売り上げは対前年比二五%増を見込んでいたが、二五%どころか一~六月の半年間には四〇%増となり、「今年は最終的に三五%増が達成できそうです」と小沢秀樹社長は語る。

外に目を向けることは、中国国内の他の都市・地域から外国にも及ぶようになった。上海万博は、この意味でも極めてタイムリーだったのである。

本当の国際理解へ

新聞、テレビを通じて知った外国と万博会場で接した外国とでは大きな違いがあった。一方的に流されていた情報は、万博では双方向となり、そこで出会った外国は多くの中国人にとっては極めて新鮮で、想像を超えていた。

万博が終わると、イギリス館のガラスの管の中にある種は、普通の中国市民に配られ、それはまた撒かれて中国で成長していく。イギリスからもたらされた種は永久に中国の大地に残り、イギリスという国に対する関心もこの種と一緒に大きくなっていくだろう。

ドイツ館には、伝統工法で作られた刀が展示され、同じ館内には、最新の工作機械もあった。浙江省から来た王成申さんは、新聞や雑誌から知ったドイツを、ここの具体的な展示品と結びつけて、新しいドイツ像を持つようになったという。「伝統の工芸技術が現代工業にも生かされてはじめて今日の工業大国ドイツが形成されたのです」と王さんは語った。

人気パビリオンの一つである日本館についても同じことが言える。新聞や映画、テレビドラマで知った日本は、政治家や軍人がいつも中心人物として登場してくるが、それと日頃接する家電製品との関連性が中国の一般の人々には、どうしてもよく理解できなかった。将来の日本についてはなおさらだ。ところが日本館に入ると、そこでは未来の都市生活、省エネ、環境を中心とした展示がはっきりと日本の将来像を示していたのである。案内してくれるスタッフは、綿密なプログラムに基づいて、てきぱきと仕事をしていく。ここで初めて多くの来場者は、生の日本人に接し、好印象を持ったのである。

「改革・開放」の三十年間、外国からの投資を受け入れ、「メード・イン・チャイナ」製品を世界中に送り出してきたが、普通の中国人が外国に出かけるだけの資力はまだなかった。世界を理解する手段も新聞やテレビ・映画以外にはあまりなかった。七千万人ほどの中国人が、外国の代表的な建築、展示、会場で働く外国人を通じて、もう一つの外国に対する理解を持つようになったのである。

外国理解の第一歩は踏み出されたばかりだが、おそらく徐々に外国理解の大きな奔流がやってくるだろう。実際に外国に出かけて、より多くの外国情報に接するようになれば、国際理解のある中国人がきっと多くなってくる。自分のこと、自分の住んでいる所のことしか知らなかった人でも万博に出かけてみて、視野が大きく開かれたことからも、国際理解の将来が知られるのである。上海万博開催は多くの意義をもっているが、普通の中国人の視野を広げ、普通の中国人の目を世界に向かわせたということの意義もその中の一つであり、けっして小さくはない。

追記

「上海万博、縦横無尽」も今回が最終回となった。取材に応じてくださった多くの方々に感謝したい。読者の皆さまとはまた次の機会に再会できたらと思う。愛読くださったことに誌上を借りて感謝いたしたい。

 

人民中国インターネット版 2010年11月

 

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