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ゆかりの地を訪ねて

単濤=文・写真

東京都文京区 白山神社  孫文と滔天が天下を語り合う

東京文京区白山神社にある2人が座った石とその後に建てられた記念碑

1910年6月のある夜、東京の宮崎滔天宅に寄寓していた孫文は滔天とともに文京区白山神社にやってきて、境内の石に座り、中国の将来やその経綸について熱く語り合ったという。

熊本県生まれの滔天は孫文と深い友情で結ばれていた。孫文の革命への情熱に感銘した滔天は、生涯を通じ中国革命を支援し続けた。

東京都新宿区 神楽坂  孫文と黄興の出会い

中華料理店「鳳楽園」があった神楽坂付近

中国で革命のうねりが高まった20世紀初頭、「興中会」「華興会」「光復会」など、清朝の統治を覆そうとする革命組織が各地で結成された。「興中会」を率いる孫文は「ばらばらに革命活動を進めるより、力を合わせることが最優先だ」と主張した。

1905年7月、東京に赴いた孫文は宮崎滔天と神楽坂にあった中華料理店「鳳楽園」を訪れた。そこに待っていたのは「華興会」創設者の1人、黄興だった。初対面の孫文と黄興はすっかり意気投合し、旧知の仲のように語り合った。そして革命組織を統一し、「中国同盟会」の結成することで合意した。

東京都港区 赤坂 「中国同盟会」を結成

坂本金弥代議士邸のあたりは現在、ホテルオークラになっている

孫文や黄興は宮崎滔天らとともに、「中国同盟会」の結成準備に駆け回っていた。1905年8月20日、東京赤坂の政治家・坂本金弥宅で「興中会」「華興会」「光復会」が合同して「中国同盟会」の創立総会が開かれ、孫文の「韃虜を駆除し、中華を恢復する」(「民族」)、「民国を建立する」(「民権」)、「地権を平均する」(民生」)という「三民主義」が綱領として採択され、中国史上初めて統一的な組織と近代的な革命理論を持つ革命政党が生まれた。

 

 

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