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天険をゆく 巡礼者たち

 

タンメ天険を突き進む

 

 

敬虔な巡礼者たちに別れを告げ、車はスピードをあげた。午後にはタンメ鎮に到着した。ここの気候は心地よく、標高は1800メートルほどしかなく、鎮には兵站のほかには郵便局があるだけで、ごくわずかな住民しかいない。鎮のそばを通る道路には、タンメ大橋を通過するためのバスが列をなして待機している。チベット族や漢族のバスの乗客は、のんびりと道端の売店で食べ物を買ったりして時間をつぶしている。時折「乗って!早く!」とかけ声が飛び交う。

鎮からそう遠くないタンメ大橋は、パランズァンボ川にかかる、チベット自治区東南部からラサに通じる唯一の橋である。かつて雲南とチベットを行き来したキャラバンも、危険を冒してこのタンメ天険を突き進み、チベット入りしたのであろう。ここを避ければ、迂回してはるばる青海省を通ってチベットに入るしかない。2000年の夏、パランズァンボ川の橋は洪水で崩壊してしまった。長さ300メートルあまりの現在のワイヤーロープのつり橋は、2001年に新たに造られたもので、10トンの重さにしか耐えられない。橋のたもとには武装警察の警備所が設けられ、橋を通過する車は武装警察の指揮のもと、一台ずつ渡らなくてはならない。橋を越えると、14キロにおよぶタンメ天険である。車列も次々にゆっくりと橋に近づいた。みな車から降り、パランズァンボ川にかかる壮観な橋で記念撮影をしてから、揺れる橋を対岸まで歩いて渡った。

 

タンメ天険は、現地の人々に「タンメ墓場」とも呼ばれている。「パルン(帕隆)を車で通るとき、険しい難所を見るべからず」

 

 

ここを通る人々が口癖のようにいう言葉である。たびたびここを通るというドライバーも、タンメ天険と聞くと眉をひそめる。我々の車列の車両が一台ずつ、やっとのことで対岸まで渡りきると、隊長が再びみんなに言い聞かせるように告げた。「できるだけ早くここを通過してください。途中で止まってはいけません。万が一地滑りで道路が詰まったりしても、取り乱さず、歩いて乗り越えればいいのです。まず指示に従って、安全を心がけること」

 

タンメ天険は世界的にも有名な、地滑りの起こりやすい場所である。このあたり数十平方キロの範囲は、頻繁に山崩れ、雪崩、土砂崩れ、地滑り、地震などの自然災害が発生しやすい地質構造で、タンメはちょうどその災害の中心地域に位置している。そのため、地理学者はこの地をタンメ天険と呼ぶようになった。

 

 

川を越え、しばらく休息し車を整備してから、ゆっくりと恐ろしく危険な道を進んでいった。雨こそ降ってはいなかったが、山から流れ落ちてくるわき水で、路面がひどくぬかるんでいる。車両はみなしっかりと右側の山に沿って進む。左側の下はパランズァンボ川の激しい急流である。およそ2時間あまりかけて、無事にこの「死のルート」を通り抜けることができた。みな歓声をあげながら、感激のあまり互いに抱き合った。

 

タンメ天険を抜け、さらに標高4720メートルのセチラ(色季拉)雪山を越えれば、チベットの「江南」とも呼ばれるニンティ(林芝)地区である。(馮進=文・写真)

 

人民中国インタ-ネット版

 

 

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