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「太陽の宝座」ニンティへ

 

タンメ(通麦)天険を抜け、セチラ(色季拉)雪山を越えて、「チベットの小江南」と誉れ高いニンティ(林芝)地区に入る。目の前に広がる景色は、険しい山からおおらかな大自然の原始的風景に変わる。うっそうとした森に取り囲まれた村、落ち葉がびっしりと敷き詰められた村から村へ続く黄金色の道。その向こうには、標高7782メートルのナムチャバルワ(南迦巴瓦)雪山の主峰が、厚い雲海を突き破るようにしてそびえ立つ。

 

大自然の博物館

 

ニンティ地区八一鎮の東側にあるナムジチャバルワ峰

うっそうと茂ったニンティ地区の森


ニンティとは、チベット語で「太陽の宝座」を意味する、チベット族、メンパ族、ロッパ族が集まり住んでいる地域である。チベット東南部のヤルツァンボ(雅魯藏布)川の下流に位置し、東部はチャムド(昌都)地区、東北部は雲南省、北部はナクチュ(那曲)地区、西部および西南部はラサと山南地区、南部はインド、ミャンマー両国と境を接している。国境線は1006.5キロに及ぶ。ニンティ地区は人口14万人あまり、総面積およそ11万7000平方キロで、ニンティ、メンリン(米林)、コンボギャムダ(工布江達)、メド(墨脱)、ボミ(波密)、ザユイ(察隅)、ナン(朗)の7つの県に分けられる。

 

ニンティはヒマラヤ(喜馬拉雅)山脈、ニェンチェンタングラ(念青唐古拉)山脈、横断山脈の懐に抱かれている。標高は平均3000メートルほどだが、一番低い場所の標高はわずか900メートルほどしかない。一年中インド洋の暖湿気流の影響を受け、冬は暖かく夏は涼しい。気候は温暖湿潤であり、原生林が残され、さまざまな動植物が極めて豊富である。この地の高原にはチベットコノデガシワ、チベット杉がそびえ立ち、植物の生きた化石といわれるシダや数百種類に上るツツジ、冬に開花するトウガラシの木や渇きをいやす水壺藤、高地寒冷地帯に生える雪蓮花、亜熱帯に豊富なバナナやシュロもある。中でも、ロッパ(珞巴)族の人々が「夜明樹(夜光樹)」と呼ぶ不思議な植物には、さまざまな美しい伝説が残っている。

 

温和な気候に恵まれた天然の牧草地帯

ヤルツァンボ江のほとりで、風になびくタルチョ(経幡)

 

「夜明樹」は、ナムチャバルワ峰のふもと、標高1000メートルに満たないヤルツァンボ川のほとりにある、背の高い広葉樹林の中に生えている貴重な薬草である。「夜明樹」の葉はちょうど手のひらと同じくらいの大きさで、昼間はほかの木の葉と変わらないが、夜になると、葉の一枚一枚の裏側の8、9の点が、ポツポツと光りを発する。その光る葉がそよ風に揺られると、まるでホタルが舞い飛んでいるようである。夜その木の下に横たわって「夜明樹」の光を仰ぎ見ると、きらめく満点の星の中を泳いでいるような心地になる。地元の人々はこの木を縁起の良い木とみなし、木の葉を摘み取っては、財と吉祥をもたらしてくれるよう願いをこめて、家の穀物倉庫や財宝をしまいこんである場所に入れておく。

 

「夜明樹」の生長には非常に時間がかかる。地元の老人の話によれば、もっとも太い木の幹でも人の腰ほどの太さもなく、枝は短く細いという。きらきらと光を放つポツポツの正体は、葉の裏にできた緑豆ほどの大きさの、透き通ったような赤い実である。このような不思議な希少な植物は、ニンティ地区の貴重な天然の財産であり、天然の自然博物館とたたえられている。

 

シュウバ村の千年古城

 

シュウバ村の古城

デチェン(右)の家に遊びにきた子どもたち

バター茶をつくるデチェンさんのおばあさん

 

ニンティ地区の八一鎮に着くと、一日がかりで車の整備をした。八一鎮はニンティ地区の行政機構の所在地であり、チベットに入ってから初めてのにぎやかな街であった。広い道路の両側に高いビルがずらりと並び、デパート、商店には人が出たり入ったりして、にぎわっている。ニンティ地区の軍分区(直轄市、自治州、盟クラスの軍隊組織)の副参謀長は撮影マニアで、その夜は私たちを厚くもてなしてくれた。芳醇なお酒が興を添え、現地の友人たちとともにチベット族の歌を歌った。高らかな歌声は、夜中まで響きわたった。

 

翌朝、再びラサに向けて出発した。シュウバ(秀巴)村を通りかかると、村の近くにそびえ立つ古城群が見えた。雪山を背景に、雄大で神秘な姿が際立っている。その風景に心を奪われ、村に立ち寄って見学することにした。村の入り口で迎えてくれたチベット族の女の子は、「観光にいらしたのですか?」と、非常にきれいな標準語で話しかけてきた。「あの古城へ行きたいのですが」「私が案内しますよ」彼女はたちまち案内役を買って出てくれた。

 

デチェンさんの祖父母

「転経」に熱心なロサンさん

 

デチェンという名の15歳のその少女は、両親が離婚したため、祖父母といっしょに古城の近くにある古い屋敷に住んでいるという。村民はみな近くにある新しい村に引越してしまい、この村には古城と彼女の家が残っているだけだという。

 

暗い部屋の中で、デチェンさんの祖父母と対面した。3人は互いに頼りあって生きているのだった。彼らの生計はすべて8ムー(1ムーは6.667アール)の耕地と9頭の牛、5匹の豚に頼っているという。おじいさんのロサンさんはベッドの傍に座って窓の外を見つめながら、手はマニ車を動かしていた。私たちの訪れにかすかな微笑みを浮かべたものの、ほとんどしゃべらなかった。そんなおじいさんにデチェンさんが働きかけ、通訳してくれて、村内の古城のことを話してもらった。

 

シュウバ村の古城は、かつてチンバナボ(欽巴哪波)という妖魔の支配する場所であった。妖魔を退治するため、ゲサル(格薩尓)王はここを戦場とした。妖魔は古城に身を隠したまま、高い地勢で優位に立ち、その古城を攻撃するゲサル王の兵士たちは盾となるような遮蔽物も何もなかったため、3年にわたって苦戦し続け、古城を攻め落とすことができないでいた。やがて、ゲサル王は夢の中で神様のお告げを受け、妖魔の神通力は明け方にもっとも弱くなるため、そのときを狙って矢で打てば必ず勝てると。そこでゲサル王は、優れた隊長や{いて}射手を選び、夜の闇に乗じてひそかにシュウバ村の向かいにある山頂で待機させた。夜が明けるころ、射手隊は城をめがけて無数の矢を放った。妖怪たちは防御が間に合わず、妖術をふるうこともできないまま、とうとうゲサル王に退治された。シュウバ村の山頂の岩には、いまでも矢の痕が残っているといわれている。

 

ツォムさんの家の彩色壁画

息子と孫に囲まれて、幸せな生活を送るツォムさん

 

その後、ソンツェンガンポ(松贊干布)王はトバン(吐蕃)を統一するため、あちこちに戦いに赴いた。一つの地方を勝ち取るたびに一つの城を建てて統治の象徴とする同時に、防御や通信、駐屯警備に活用した。

 

シュウバ村が位置するコンボギャムダ地方には、様式の異なる古城がいくつか残されている。このような古城は、現地で「戎堡」とも呼ばれる。各地の風俗や建築材料によって、建築のスタイルはさまざまである。石の切片で積み重ねてできたのもあるし、泥で築いたのもある。木製構造のもある。しかし、比較的完全に保存され、大規模な古城と言えるのはわずか3カ所のみである。一つはニャングボ(娘蒲)郷のシャバタン(下巴塘)古城群、一つはショカー(雪卡)村の古城群、もう一つはシュウバ村の古城群である。シュウバ村の古城群にはもともと7つの古城があったが、長年修繕しなかったため、すでに二つの古城が崩れてしまった。残された5つの古城は、高さがそれぞれ50から60メートルくらいとまちまちで、城と城の間は30から50メートル離れ、敷地面積は800平方メートルあまり。1999年、中国科学院の専門家が現地調査に訪れ、シュウバ村の古城群は唐の後期に建てられたものであることを考証した。そのため、シュウバ村の古城は千年古城とも呼ばれるようになった。

 

シュウバ村の古城は、石の切片を積み重ねてできている。外部から見れば十二面の菱形の柱のように見えるが、内部は八角形、中心は空洞で天井がない。壁の厚さは約2メートル、中には木の板がはめ込まれている。古城の一番高いところには、眺望用の穴があり、敵を監視したり矢を放ったり、のろしをあげて情報を伝達することもできる。これらの古城は千年の風雨を経ても、依然として強固である。現在、この古城の保護及び観光客の安全のため、観光客は中に入れず、外からしか見学できないようになっている。

 

ツォムさんの家に設けられた美しい「読経房」

新しい家を案内するツォムさん

 

古城を見学した後、隣接するシュウバ新村を訪れた。整然と並んだ二階建てのチベット様式の家々の前には色とりどりの花が咲き乱れる庭があり、住み心地がよさそうであった。ある老人の家を訪ねた。「この新しい家は、2003年に13万元をかけて建てたものです」とツォムさんという老人は、広く明るい家を案内してくれた。土地に伝わる物語が描かれた色彩壁画が、壁一面を美しく彩っている。内装に工夫を凝らした経文を唱えるための「読経房」(読経専用の部屋)もしつらえた。「県城で建築の仕事をしている息子と二人の孫といっしょに住んでいます。生活には満足していますよ」ツォムさんは「読経房」内の飾り物を拭きながら、嬉しそうに笑った。

 

近年、県政府の支持のもと、シュウバ村は千年古城という資源を生かして、観光業や民宿などを始めた。週末や祝日ともなると、ニンティ地区やほかの地区から、古城見学や家庭料理を楽しみにやってくる観光客は少なくない。観光業の発展によって、全18所帯の村の年間収入は平均千元余り増加した。

 

立ち並ぶチベット様式の新しい建物が次第に遠くなってゆくのを眺めながら、シュウバ村を後にした。デチェンさん一家のことが、なかなか心から去らなかった。(馮進=文・写真)

 

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