People's China
現在位置: コラム茶馬古道の旅

奥チベットに入る

 

10月27日、晴れ。ラサ平原から出てほどなく、砂漠化したニェモ(尼木)峡谷に入る。奇異な地形と赤褐色の土地の上を通っていると、異星にやって来たような気分になる。

黒首鶴の越冬

ラサからシガツェに通じる北ルートを進行む「茶馬古道」取材クルー
ネパールに通じる国道318号線に沿って進んでゆく。ニェモ峡谷を抜け、ゆるやかな地勢になってくると、ヤルツァンボ川に取り囲まれた平坦な土地で、群れをなす羊たちが草を食んでいる。ふいに、山の方で原野の上空を旋回している鳥の鳴き声が、途切れ途切れに耳に飛び込んできた。無意識にカメラの望遠レンズで観察し、その光景に興奮の声を抑えきれなくなった。「見ろ。黒首鶴があんなにたくさんいる!」カメラマンの梁さんにトランシーバーで前の車に連絡してもらい、この珍しい光景を撮ることにした。私たちは車を田畑の脇に停め、撮影設備一式を背負って抜き足差し足で黒首鶴のいるあたりまで進んでいった。

黒首鶴は中国一級保護動物であり、「チベット鶴」「高原鶴」などの別名もある。チベット語では「ジョンジョン」「アークゥジョン」と呼ばれている。中国特有の鳥類98種のひとつ、国際自然保護連合(IUCN)鳥類レッドリストにも掲載されている絶滅の危機に瀕している種でもある。標高2500~5000メートルの高原に生きる唯一の鶴類で、青海・チベット高原と雲南・貴州高原の青海省、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、四川省、甘粛省、雲南省、貴州省の7つの地域に生息している。また、主に新疆の阿爾金山、カラコルム(喀喇崑崙)山、甘粛の祁連山、チベットのヒマラヤ山北陵、雲南の横断山及び甘粛、青海、四川三省の境を接する松潘芝生、雲南と貴州が相接する烏蒙山一帯に分布している。

飛び立つ黒首鶴の群れ
青海・チベット高原の東北部で繁殖する黒首鶴は、越冬のため、毎年10月の下旬から群れをなして隊を組み、青海・チベット高原の東南部と雲南・貴州高原へ移動する。翌年春になると再び戻ってくる。

こっそりとかつ素早く鶴の群れに近づいてゆくと、黒首鶴たちの様子がはっきりと見えた。うつむいて一心に食べ物を探しているもの、翼をはためかせ、見事な舞いを見せるかのごとくあちこちをのんびりと跳びまわっているものもあれば、空に向って声を張り上げ、歌っているのもある。空を飛んでいる仲間に呼びかけているのだろうか。

興奮し過ぎたためか、はたまた高い標高のためか、胸がどきどきと激しく脈打ち、呼吸が苦しくなった。しかし、深呼吸することで鶴の群れを驚かせてしまうのを心配して、ひたすら我慢して黒首鶴の数を数えた。「1、2、3……」150羽ほどまで数えたが、空からはまだ次々と黒首鶴が飛んでくる。実に壮観な光景であった。興奮してシャッターを押していると、音に敏感な黒首鶴が顔をあげ、私たちのいるあたりに目を向けた。誰もが息を殺して撮影の手を止めて黙っていると、黒首鶴は再び頭を下げて食べ物を探しだす。

移動中の黒首鶴の群れ
まもなくまた別の一群の黒首鶴が飛んできた。慎重に前に近づきながら撮影した。500メートルほどのところまで近づいたとき、すべての黒首鶴が突然頭を上げて私たちをじっと見つめた。鶴の群れの中から驚いたような鳴き声があがった。

その瞬間、最後のチャンスとばかりになりふりかまわずシャッターを切った。一瞬のうちに、驚いた黒首鶴は空に向かって飛び立ち、力強い翼を広げ、あっという間に飛び去った。そんな絶景に見とれ、田野に立ちすくんだまま、遠く去っている黒首鶴を見送った。

車に戻るとすぐに酸素を吸った。いくらか気分がよくなったが、それでも高山病による激しい頭痛が起こった。なにはともあれ、黒首鶴の撮影に成功した時の興奮と喜びを胸に、私たちは奥チベットの中心都市・シガツェに到着した。

タシルンポ寺

日光山麓に位置するタシルンポ寺
シガツェの広々とした通りの両側には新しい建物が建ち並んでいる。にぎやかな商店街には店舗が林立し、人々が集まっている。昔のままに残されているのは、日光山麓に位置するタシルンポ(扎什倫布)寺だけである。遠くから眺めると、タシルンポ寺の金色のてっぺんが、まばゆい光を放っている。山に寄りかかるようにして建てられ、非常に壮観である。

チベット語で「吉祥須弥(吉祥の山)」という意味を持つタシルンポ寺は、1447年に建てられたシガツェ地区における最大の寺院である。ラサのガンデン(甘丹)寺、セラ(色拉)寺、デプン(哲蚌)寺と合わせてチベット仏教ゲルク派の4大寺と呼ばれ、4世以来の歴代パンチェン(班禅)の行政中心地である。敷地面積は15万平米に及び、56の経堂を含む3600の部屋が設けられている。1961年3月4日、国家クラス重点文物保護施設となった。

まずタシルンポ寺院群の中でもっとも古い建物である大経堂に足を運んだ。大経堂はツォチン大殿ともいい、完成に12年あまりを要した。その前には600平米以上の講経場があり、パンチェンが僧侶たちに経文を講義したり僧侶たちが経文を検討したりする場所となっている。講経場の周りには石彫りの仏像、四天王、十八羅漢、様々な仏像千体、80人の高僧、菩薩及び飛天仙女がある。大経堂の真ん中にあるのはパンチェンの座である。

タシルンポ寺で幸福と健康を願う家族
ジアナーラーカン仏堂はチベットには稀な漢仏堂である。仏堂には、歴代皇帝がパンチェンに賜った古代の磁器、金や銀、玉などの入れ物、文成公主がチベットにやって来た際、一緒に運ばれて来た9体の青銅仏像、そして清代の皇帝からパンチェンに賜った重さ16.5キロの、漢、蒙古、チベットの3民族の文字の刻まれた金属製の官印が秘蔵されている。また、堂内には法輪をもちながら袈裟を着ている乾隆帝の大きな肖像画が掛けてあり、肖像画の下には、「道光皇帝万歳万歳万万歳」と書かれた道光帝の位牌が置かれている。

タシルンポ寺の西側には、高さ30メートルで5階建てのチャムバ仏殿がある。殿内に安置されているチャムバ仏像は世界でもっとも大きな銅座像で、高さ26.2メートル、肩幅11.5メートル、足4.2メートル、腕3.2メートル、中指周囲1.2メートル、耳2.8メートル、6700両の黄金と11.5万キロ以上の黄銅が使われ、110人の職人が4年かけて造ったものである。仏像の眉宇にちりばめられたダイヤモンドや真珠、琥珀、珊瑚、トルコ石などの珠玉宝石は、およそ1400個にのぼるという。

霊塔殿には8つのパンチェンの霊塔がある。そのうち「釈頌南捷」は第10世パンチェンオルドニ・チュキギェルツェン(班禅額爾德尼・却吉堅賛)の霊塔祀殿である。

第10世パンチェンオルドニ・チュキギェルツェンの霊塔祀殿
1989年にチュキギェルツェンがシガツェにて円寂したのち、国は6424万元、614キロの黄金及び275キロの白銀で、3年ほどかけて霊塔祀殿を建造した。

霊塔祀殿は赤色と褐色の2つの建物から構成され、てっぺんが金頂となっている。敷地面積253平米、高さ11.55メートルの霊塔の表は金で飾られ、珠玉宝石がびっしりとはめられている。818の宝石入れの袋が安置され、総計24種の珠玉宝石が6794点ある。

塔内は上、中、下の3階に分けられ、下階にハダカムギや茶、塩、様々なドライフルーツ、砂糖及びビャクダン、生薬、絹織物、金がはめられた馬の鞍、鹿茸、サイの角など、中階に『大蔵経』、ゲルク派3大祖師と歴代パンチェンの著作、貝葉経及び純金の液で写経された仏教経典、上階に仏教経典と仏像が置かれている。

チュキギェルツェンの遺体は「衆生福田(衆生は人間、およびあらゆる動物を指す。田を耕せば収穫があるように、仏や僧、両親、恵まれない境遇にある人々を敬うと幸福が得られるという説から、仏や僧、両親、恵まれない境遇にある人々を福田に喩える)」の中心に安置されている。その周りに、袈裟や唐卡(絵画と装飾、刺繍が一体となったチベット仏教特有の代表的な芸術作品)、仏像、経書などの様々な宗教用品が供えられている。

酥油灯を守るラマ僧 様々な珠玉宝石がびっしりと はめられている霊塔 チャムバ仏像

毎年チベット暦の5月15日に、タシルンポ寺では「展仏節」と言われる盛大な3日間にわたる仏教儀式が行われている。期間中、タシルンポ寺東北部にある展仏台で、過去、現在、未来という三世仏の巨大な肖像画を日替わりで公開する。各地から遠路はるばるやってきた僧侶と庶民たちは、ハタを贈ったり五体投地をしたりして、災害が取り除かれ幸せがもたらされるよう、仏に祈りを捧げる。(馮進=文・写真)0808

 

人民中国インターネット版 2008年9月25年

 

 

同コラムの最新記事
国境の鎮にたどり着く
雪山群の麓を行く
奥チベットに入る
茶が時を刻むラサの暮らし
「太陽の宝座」ニンティへ