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相亲时代

  「お見合い」時代

二十四岁失恋,这尴尬的身份和年龄,导致“嫁出去”成为我的首要任务,相亲也成了我生活的一部分。老爸老妈倒也不逼婚,只是每次看到我,都是一脸看自家水果蔬菜滞销的表情。看着我这棵快要烂在自家院子里的菜,同学、朋友、同事以及七大姑八大婆纷纷上场,各路人马大显神通充当媒婆,我开始像陀螺一样旋转在各色未婚待娶男中间。当然,就像一般的相亲故事一样,合适的总是那么少,不是我看不上人家就是人家看不上我。一次次的擦肩而过,让我这个开始还犹抱琵琶的相亲新手成功锻炼成了久经沙场的老油条。  

24歳で失恋した時、立場の気まずさとその微妙な年頃によって、「嫁に行く」ことが私の主な任務となり、お見合いが私の生活の一部となった。父も母も結婚しろと迫ることはなかったけど、私を見るたびに、売れ残りの自家栽培の果物や野菜を見るような表情になった。自宅の庭で熟れ過ぎて腐りかけている「私」を見かねて、同級生、友人、同僚、おばなどがこぞって世話焼き婆さんと化し、私は結婚を望むさまざまな未婚男性の間をコマのようにくるくる回り始めた。当然、他のお見合い物語と同じように、意気投合なんていうのは極めてまれで、私が気に入らないのでなかったら、向こうが気に入らないという具合であった。一度また一度の擦れ違いで、恥じらいいっぱいの乙女※1は、すぐに擦れっからしの女※2となってしまった。

相亲,多的是千篇一律的故事。两个心里有点期待但又假装平静的男女,从互不相干的环境中,为了同一个目标,走到一起来了。在一见面的几秒钟,基本就确定了是否想继续交往。作为女人,标准的感觉动物,不可能因为你有家财万贯就对你一往情深,而男人,往往是标准的视觉动物,如果映入眼帘的女人在样貌上就不是自己的那份菜,接下来就没戏了。

お見合いではほとんどが同じパターンが繰り返される。心にわずかな期待を抱きながらも平静を装った男女が、まったく見知らぬ他人同士でありながら、同じ目標のために、時間と空間を共にするというものである。会ったばかりの数秒間で、基本的に今後、交際を続けてゆくかどうかが決まってしまう。感覚的動物と言われる女性は、幾ら男性の家が億万長者だからといって思いが深くなるわけではないし、視覚的動物と言われる男性は、視覚に映った女性が自分の好みとはいえなかったら、次回はありえない。

相亲是最简便的认识异性的渠道,却是最难成功的方式,因为男女双方潜意识里都是怀揣着“也许我见到的,将是我未来妻子或者丈夫”这个目标来的。有了这个功利性的目标,往往就会对对方横挑鼻子竖挑眼。也许在最普通的朋友中,我们不会介意对方的发际线有点向后,肚腩有点大,但是要作为恋人的候选人,这些细节往往起了决定性作用,那些房子车子、经济实力什么的,有时候还排在后面。

お見合いは異性と知り合うための一番手っ取り早いルートであり、かつ最も成功しにくい方法でもある。なぜなら男女はどちらも潜在意識の中に、「今度私が会う人が、将来の妻あるいは夫になるかもしれない」という目標を抱いてやって来ているからである。こういった功利的な目標がある場合、往々にして相手に対するあら探しという態度※3で臨むことになる。もし普通の友人だったら、相手の生え際が少し後退していたとしても、太鼓腹になっていたとしても気にかけないだろうが、恋人候補としては、そのようなささいなことが決定的な作用を及ぼし、家やら車やら経済力やらは、時にはどうでもよくなってしまう。

(节选自杨凌艳文集《梅花落满南山》之《相亲时代》)

(楊凌艷文集『梅花落満南山』収録 「相親時代」より一部抜粋)

 

 

翻訳上の工夫

 

※1.「犹抱琵琶」は、白居易の七言古詩『琵琶行』の中の句「犹抱琵琶半遮面」に由来し、水上からどこからともなく聞こえてきた琵琶の音に、誰が弾いているのかと問うたが、しばらく返事はなく、ようやく女が姿を現したかと思うと琵琶を抱き、袖で顔の半分を隠している、という内容のもの。ここから恥らう女性の姿の描写として使われるようになった。

※2.「油条」は、小麦粉を練って棒状にして油で揚げたもので、中国では代表的な朝食。「久经沙场的老油条」は何度もの戦いを経てきたしたたか者という意味で、ここでは、少し悪い意味が強いが「擦れっからし」という訳語を採用してみた。

※3.「横挑鼻子竖挑眼」は縦横に鼻や目をほじくる、すなわち他人のあら探しをする意味。出典は老舎の『龍鬚溝』。

 

 

人民中国インターネット版 2014年8月

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