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不顾一切地老去

老いは一切に構わずやって来る

 

 天光有些暗。我侧脸照了一下镜子,竟被镜中的影像吓了一跳。那个瞬间的我,像极了自己的母亲;一愣神儿的工夫,我越发惊惧了,因为,镜中的影像,居然又有几分像我的外祖母了。我赶忙揿亮了灯,让镜中那个人的眉眼从混沌中浮出来。——这么快,我就撵上了她们。

そのとき、すこし薄暗かった。私の横顔がちらりと鏡に映り、その中の姿に私は飛び上がるほど驚いた。その瞬間の私は、母親にそっくりだったからだ。しばらく愕然としたあと、さらに恐れを感じた。なぜなら、鏡の中の姿は、私の祖母にも幾分か似ていたからである。私は慌てて灯りをつけ、鏡の中のその人の姿を混沌の中から浮かび上がらせた。――こんなに速く、私は彼女たちに追いついてしまったのか。

 

 母亲有一件灰绿色的法兰绒袄子。盆领,泡袖,掐腰,用今天的话说,是“很萌”的款式。大约是我读初二那年,母亲朝我抖开那件袄子说:“试试看。”我眼睛一亮——好俏气的衣裳!穿在身上,刚刚好。我问母亲:“哪来的?”母亲说:“我在文化馆上班的时候穿的呀。”我大笑。问母亲:“你真的这么瘦过?”后来,那件衣服传到了妹妹手上。她拎着那件衣服,不依不饶地追着我问:“姐姐,你穿过这件衣服?你真的那么瘦过吗?现在,那件衣服早没了尸首。要是它还在,该轮到妹妹的孩子追着妹妹问这句话了吧。

母はフランネルのくすんだ緑色の上着を持っていた。大きな円襟とちょうちん袖の、腰が細くくびれた、とってもフェミニンなデザインだった。私が中学2年生の頃だったと思うが、母が私に向かってその上着を開いて見せ、「着てみない?」と言った。私はその素敵な服に目を輝かせ、着てみると、ちょうどぴったりだった。私は母に聞いた。「どうしたの、これ?」母は「文化館で働いていた時に着ていたのよ」と答えた。私は大笑いして、母に尋ねた。「本当にこんなに痩せていたの?」後に、その服は妹の手に渡った。妹はその服を手にして、私に容赦なく聞いた。「姉ちゃんもこれを着たの? 本当にそんなに痩せていたの?」今、その服は影も形もなくなってしまった。もしまだあるのなら、妹の子どもが妹に同じことを聞くことだろう。

 

 人说,人生禁不住“三晃”:一晃,大了;一晃,老了;一晃,没了。我在晃。我们在晃。

人は言う。人生は「三つの瞬く間」から逃れられない。瞬く間に大きくなり、瞬く間に老け、瞬く間に無となる。私はいまその瞬間にいる。われわれはすべてその瞬間にいる。

 

 记得一个爱美的女子曾说过这样一段话:揽镜自照,小心翼翼地问候一道初起的皱纹:“你是路过这里的吧?”皱纹不搭腔,亦不离开。几天后,再讨好般地问一遍:“你是来旅游的吗?”皱纹不搭腔,亦不离开。照镜的人恼了,遂对着皱纹大叫:“你以为我有那么天真吗!我早知道你既不是路过,也不是旅游,你是来定居的呀!”

あるおしゃれな女性がいつか、こんな話をしたのを覚えている。鏡をのぞいて、恐る恐る初めてできた一筋のシワに話しかけてみた。「あなたは今ちょっとここにいるだけでしょ?」シワはまったく構うことなく、離れようとはしなかった。数日後、猫なで声でまた聞いてみた。「あなたは旅行で来ているだけよね」シワはまったく構うことなく、離れようとはしなかった。鏡を見ている人はこらえ切れなくなり、とうとうシワに向かって大声で叫んだ。「あなたは私がそれほど無邪気だと思っているの? あなたがちょっと寄っただけでも、旅行でもなく、居座るために来たということは、とっくの昔に知っているのよ!」

 

 老,不会放掉任何一个人。

老いはいかなる人も、見逃してくれはしない。

 

节选自张丽钧散文《不顾一切地老去》

張麗鈞のエッセイ 「老いは一切に構わずやって来る」より一部抜粋

 

 

◆翻訳にあたって◆

 張麗鈞は河北省で国語教師を務める傍ら1990年より文章を発表している女性作家。中国語の「晃」は、一瞬ちらりと通り過ぎることや、時のたつのが速いさまを形容する言葉。また、中国語で「愛美的女子」というと、字面上の解釈では「美を愛する女性」であるが、多くの場合、「自分の美しさに気を配る女性」ということになる。そこで、ここではおしゃれなという言葉を使用した。 (福井ゆり子)

 

 

 

人民中国インターネット版  2015年9月

 

 

 

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