People's China
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过年

年越し

 

 像候鸟一样,在外的儿女都回到了家乡。无论路途远近,无论寒风细雨,更无论富贵与否。

渡り鳥と同じように、外に住む子どもたちはみんなふるさとに戻ってくる。どれほど遠くにいようが、どれほど悪天候であろうが、ましてやお金のあるなしにかかわらず。

 

 每年十二月,村头的小路挤满了老人的期盼,温馨而又急切。每一声车鸣,带来一串又一串欢快的笑声,涌动着一阵又一阵暖暖的亲情!亲爱的爸爸妈妈,我们回来了!亲爱的孩子,爸爸妈妈回来了!田间芬芳的空气,盈盈扑面而来。家乡清冽的井水,喝一口已滋润心田。还未走近家门,眼尖的忠实老黄狗早已一路跑到跟前,轻叼裤角,摇头晃尾。袅袅的炊烟在屋顶升了起来,屋檐下的腊肉、腊肠、腊鸭在阳光的照耀下,散发着闪闪的金光。

毎年12月になると、村じゅうの小道には老人の期待、温かさ、そして焦燥がみなぎる。車の到着を告げる音と共に、歓喜の笑い声と温かな肉親の情がひとつ、またひとつと湧き起こる。お父さん、お母さん、僕たちは帰ってきたよ。わが愛しき子どもたちよ、父さん、母さんが帰ってきたよ。田舎のかぐわしい空気が、顔に降り注ぐ。ふるさとの澄んだ井戸水は、一口含むだけで心を潤わせる。家の門に近づきもしないうちに、目ざとい茶色の忠犬がすっ飛んできて、ズボンのすそを軽くかんで、しっぽを激しく振る。家の屋根からはもくもくと炊事の煙が立ち上ってきて、軒下に吊るされた干しブタ肉、ソーセージ、干しアヒル肉が太陽の光を反射し、ピカピカと光っている。

 

 除夕之夜,大红的对联贴起来,喜庆的年画贴起来。子夜的天空沸腾了:震耳欲聋的鞭炮声、五颜六色的烟花映红了夜空,伴随着大伙的欢呼声、祝福声,新的一年悄然而至。

大晦日の夜には、真っ赤な対聯や、めでたい年画が貼られる。夜半の空はにぎやかで、耳をつんざくような爆竹の音と、色とりどりの花火が夜空を彩り、人々の歓声や祝福の声の中で、新たな1年がいつの間にか始まっている。

 

 大年初一,穿上簇新的衣服,带上真挚的祝福,走街过巷去给村里的长辈拜年。说几句吉祥的祝福,喝几口自家酿造的米酒,尝几口积蓄了一冬阳光的腊味,长辈的殷殷祝福就像那澄黄透明的米酒,点点滴滴温暖心田。

元日にはおろしたての服を着て、心のこもったお祝いの言葉を携え、村の道々を歩き回って、年長者たちに新年のあいさつに行く。めでたいお祝いの言葉を述べ、自家製の米の酒を何口か飲み、一冬の陽光をたっぷり蓄えた干し肉を味わう。年長者たちが繰り返す祝福の言葉は、黄色く透き通った米の酒のように、心の奥まで温める。

 

 村头村尾,还随处可见放鞭炮的孩童:丢一个燃着的鞭炮进池塘里,几秒钟后泛起一阵浪花,伴随着“咕”的一声的还有孩子的欢呼声;塞一个鞭炮进玻璃瓶里,用细细的香火点着,“嗙”的一声,一缕轻烟从狭小的玻璃瓶口慢慢地冒出来;或者,插一个鞭炮进泥堆里,让泥土飞溅,像花一样盛开;或者,扔一个鞭炮在小伙伴的跟前,听一听他夸张的尖叫声。

村のあちこちに、爆竹を鳴らす子どもたちの姿が見られる。火のついた爆竹を池の中に放り込むと、数秒後に波が湧き起こり、グワンという音と共に、子どもたちが歓声をあげる。爆竹をガラス瓶の中に入れて、細い線香でそれに火をつけると、バンという音がして、一筋の煙が狭いガラス瓶の口から立ち上ってくる。または爆竹を泥の中に埋め、泥を飛び散らせると、まるで花が開いたような形になる。あるいは爆竹を友だちの目の前で爆発させて、すっとんきょうな叫び声を聞いてみる。

 

 山欢水笑。乡村的春节,快乐得无邪而纯粹,如田野吹拂而来的那缕春风,清新、自然而又满载一年的希望!

山が喜び、水が笑う。ふるさとの春節は無邪気で純粋な楽しみでいっぱいで、田畑を吹き渡る春風のように、新鮮で、自然で、1年の希望に満ち溢れている。

 

 (作者:郭竹松 节选自其2010年2月16日的博客)

(郭竹松 2010年2月16日ブログより引用)

 

 

◆翻訳にあたって◆  

 

作者は、広東省に住む兼業作家。自らのブログhttp://www.guoo.com/default.asp などでエッセイを発表している。中国では旧暦で正月を祝うため、ここで12月、元日とあっても旧暦でのこと。文中の「対聯」は春聯ともいい、めでたい文句を赤い紙に書いて門や入口のかまちに貼るもので、毎年正月前に新しくする。中国ではお正月は元宵節(旧暦1月15日)まで続き、日本よりのんびりと、にぎやかに祝われる。何事にも変化が激しい現在でも、地方ではいまだこの文章で書かれたような光景が見られることだろう。

福井ゆり子

 

 

 

人民中国インターネット版 2015年1月

 

 

 

 

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