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忘れ物

 

橋口広菜

「どうやったら英語がはなせるようになる?」私は、中国人の彼女に尋ねた。 

「素直になればいいんだよ。」と四ヶ国語話せる彼女は流暢な日本語でそう答えた。最初まったく意味がわからなかったが、今ならその意味がはっきりとわかる。そんな彼女との出会いは、私が大学に入学したばかりの四月にさかのぼる。

「けん」と「だけん」の違いは何?と熱心に聞いてくる子がいた。それは中国人の女の子だった。「けん」と「だけん」は私の地域で使われる方言である。意味に大きな違いはないが、感覚的に「けん」は使えるけど、「だけん」は使えない場面があると例文を使い教えた。彼女は熱心に聞いてくれた。それから、彼女は私に会うといつも質問をしてきた。宿題で出されたという日本語の問題を持ってきた日もあった。そんな何に対しても興味を持って探求する真面目な彼女に私は過去の自分を重ねていた。

私は小学生時代に大事な物を忘れてきたように思う。それは「純粋な好奇心」だ。私は好奇心旺盛な子供だった。通知表の先生のコメント欄にはおっちょこちょいで好奇心旺盛な子です。とよく書かれていたものだった。

小学4年生のとき、理科の授業のために私たちの班が飼育していたモンシロチョウの幼虫がある生物に寄生され、弱っていたことがあった。結局それは青虫から栄養を摂取して育つ一種のハチだったのだが、それが小学生の教科書に載っているわけもなく、図書館で調べてもわからなかった私は校長先生が理科専門の先生ということを聞きつけ、私は校長室におしかけた。校長室にずかずかと入っていく小学生がどこにいるだろうか。怖いもの知らずの胆の据わった子供だった。

中学生の最初の頃は「ディベートの女王」と呼ばれていた。相手の考えを知るのが面白く、さらに負けず嫌いの性格が幸いしてか、災いしてか、クラスのみんなの前でズバズバ意見を言っていた。討論でこれといって負けた記憶がないほどだ。

しかしそんな私の武勇伝も成長するたびに少なくなっていった。周りの顔を伺うようになったのだ。授業中に意見を言うことがなくなった。質問はありませんかと講義中に言われて、質問があるのに手があげられなくなった。前に出ないようになった。自分の好奇心よりも、周りの顔色を優先する人になってしまったのだ。

そんな私を変えてくれたのが中国人の彼女だった。素直になることの本当の意味を教えてくれたことが私を変えた。素直になるとはどういうことか。分からないと素直に言うこと。素直に聞くこと。周りの意見に惑わされずに自分の気持ちや考えに素直になること。これは純粋な好奇心の最も根本にある部分だ。出会った頃の彼女はすでに日本語の会話には支障がない状態だった。唯一苦手なのは、助詞の使い方といったところだろうか。彼女と出会って四か月たった。今では、苦手だった助詞を使いこなし、熊本の友人と話すときは熊本弁、他の留学生や、電話で話すときは標準語を使う、というように話し方を使い分けている。彼女の素直さが彼女の語学力を伸ばしているのは明白だった。それから私は少しずつ変化した。先生に質問するようになった。さらに自分のわからない部分がより明確になるのだ。さぞ面倒くさい生徒だ、と先生には思われていることだろう。忘れていた旺盛な好奇心を取り戻していった。先生の話を聞くことが大好きになった。大嫌いだった英語が、好きになっていった。もっとたくさんの人と会話したいと思うようになり、具体的な留学計画を立て、将来はたくさんの国を回り、世界問題のドキュメンタリー映像を作りたいという夢もみつけた。気づけば私にとって彼女の存在は、中国人留学生の女の子ではなく、一人の親友と変化していた。勝手に意識して作り上げられていた私と彼女の間の人種の壁は消え去っていた。彼女に出会っていなかったらと思うとゾッとする。たくさんのことに気づかせてくれた親友に感謝したい。謝謝。

 

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