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新中国初のパイロットを育てた 日本人教官たちの「里帰り」

 

近代的な航空学校を参観

 

代表団の団長が、航空大学に記念品を贈った
かつて黒竜江省牡丹江にあった東北民主連軍航空学校は、ずっと前に長春に引っ越し、空軍航空大学と校名を改めていた。

 

 6月9日早朝、日本の代表団の一行が長春駅に着くと、航空大学の先生と学生たちの盛んな出迎えを受けた。航空大学は広々とし、きちんとしたキャンパスに近代的な教室や設備が整っていて、学生たちはよく訓練され、元気はつらつとしていた。前身の牡丹江航空学校とは雲泥の差で、代表団のお年寄りたちは感無量の様子だった。

 

日本の「老戦士」の「里帰り代表団」の一行は、航空大学の「我が飛んだ飛行機」の展示棚のそばで、当時、自分たちが整備した飛行機の模型を見ながら、話は尽きなかった
一行はまず、校史陳列室を参観した。そこには当時、彼らが修理した飛行機の模型や、日本人と中国人の同僚や学生がいっしょに写った写真が展示されており、これを見た一行は当時を思い起こした。

 

大学の指導者が、現在の学校の状況を紹介し、日本の古い友人たちに「栄誉証書」を授与して、当時、航空学校の創設につくした功績に感謝した。代表団側も航空大学に「心系東北老航校 難忘第二故郷情」と書かれた錦の旗を贈呈した。「中国・東北につくられた昔の航空学校を思い、第二の故郷の情誼は忘れられない」という意味である。

 

代表団のために催された宴会の席上、李校長は「日本の老朋友が母校に帰ってきた今日は、新しい航空大学が設立されて3周年の日に当たります。これはまさに『双喜臨門』(重ね重ねめでたいこと)です」と挨拶した。

 

宴席には、当時、日本の友人たちが食べていた料理が特別に用意された。鶏とキノコの煮込み、豚肉とハルサメの煮込み、粟粥、生キュウリと味噌……。これを見て、日本人たちは、中国の友人たちとともに過ごした忘れがたい日々を思い起こすのだった。

 

当時の生活は大変苦しかった。しかし日本人は、中国の人々より良い食物を食べ、すべての面で至れり尽くせりの特別な配慮を受けていた。こうしたことで日本人は、口には言えないほどの温かさを感じた。

 

代表団の伊東孝二郎団長ら日本側は、航空大学の指導者とともに、当時の隊長の林弥一郎少佐を偲んだ。林隊長は日本軍の教官だったが、後に部下を率いて新中国のために、中国人パイロットを一組、また一組と養成し、特別に貢献した。もし彼が今日、昔の航空学校がこれほど発展した姿を見ることができたら、どんなに喜んだことだろうか、と人々は語り合った。

 

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